混声合唱団ソナーレの第31回定期演奏会は、12月1日(土)午後6時30分から出水市音楽ホ−ルで行われます。
記 ♪日時:平成24年12月1日(土)午後6時30分 ♪場所:出水市音楽ホ−ル ♪入場料:一般500円、高校生以下300円 ♪内容 第1部 混声合唱 頑張ろう日本@ あすという日が アンパンマンの歌 負けないで 花は咲く 第2部 ソロおよびクリスマスコーナー ソプラノソロ クリスマス・メドレー 第3部 混声合唱 頑張ろう日本よりA 夜空のムコウ 見上げてごらん夜の星を 行こうふたたび 大地讃頌 ♪後援:出水市・阿久根市 各教育委員会 団長の池田清様は、「昭和58年創立以来、今年で31年を迎えました。コーラスを愛する者の集団ですので毎年、楽しいステージとなるように『心のオアシスコンサート』をテーマとして表現しています。今年の定期演奏会は『明日へー支えあおうー頑張ろう日本』をサブテーマとして構成しました。多くの皆様のご来場を団員一同心からお待ちしております。いつも多くの皆様へ支えられて定期演奏会ができることを大変嬉しく思います。」と話してくださいました。 私は、高校時代に合唱部に属していましたので、混声合唱団ソナ−レの定期演奏会を毎年楽しみにしております。毎年、混声合唱ソナ−レの格調高い演奏に心を引かれ感動しています。今年も大変楽しみにしています。 ◆写真:平成24年11月22日(木)午後3時30分 出水市:上知識交差点にて |
出水中央高等学校吹奏楽部の「鹿児島演奏会」は、12月1日(土)午後3時30分から宝山ホ−ルで行われます。
♪日時:平成24年12月1日(土)午後3時30分 ♪場所:宝山ホ−ル(鹿児島県文化センター) ♪入場料:無料 ♪プログラム ☆吹 奏 楽 「エヴァンゲリオン」 「国民の象徴」 「メリー・ウィドウ セレクション」 ☆吹 奏 楽 「SEDONA」 ☆ポピュラーミュージック 「SING・SING・SING」 「MALAGUENA」 「演歌」 「想い出のヒツト曲」 「YAHーYAHーYAHーYAHーYAH」 「ザ・ピース」 ☆お ど り 「御神楽」 「ハイヤ節」 「花笠音頭」 ☆吹 奏 楽 序曲「1812年」 顧問で指揮者の福島玲士先生は、、「今年度の定期演奏会は9月23日(日)の牛深文化会館を皮切りに5会場で行ってきました。各会場とも多くの方々のご協力で大変な賑わいでした。いよいよ最後の『鹿児島演奏会』を迎えます。『鹿児島演奏会』では今までの集大成の意味を込めて素晴らしい演奏になると思います。多くの皆様のご来場を心からお待ちしております。」と力強く話してくださいました。 私は、出水中央高校吹奏楽部の演奏を高く評価しています。11月10日(土)は、2年連続3回目出場の横浜大会で理事長賞とヤマハ賞のダブル受賞され、来年度のシード権も獲得されました。私は、会場で演奏を聴きましたが、その素晴らしさには感動するばかりでした。 出水中央高校吹奏楽部は、平成17年4月に強化部に指定された年から8年連続、全国大会出場になります。 それは、「日本管楽合奏コンテスト全国大会」(主催:公益財団法人日本音楽教育文化振興会、場所:3,000人定員の東京文京シビックホ−ル)に5回、そして、今年11月10日(土)出場された「全日本高等学校吹奏楽大会in横浜」(主催:日本高等学校吹奏楽連盟、場所:2,000人定員の横浜みなとみらい大ホール)は3回目です。 このように全国大会に強化部に指定されて以来、毎年出場されている出水中央高校吹奏楽部の演奏は、誠に見事です。 いよいよ「鹿児島演奏会」は、今年度の定期演奏会の最後になります。私は、今までの全国大会や定期演奏会などの経験を生かして、より一層の素晴らしいハーモニーを奏でる演奏になるものと思います。ワクワクしながら心から期待しています。 ◆写真:平成24年11月24日(土)午後1時30分 鹿児島市:小山田町交差点(国道3号・国道328号の交差点) |
私は、旅が好きです。 その旅の計画・立案など事前の準備をいろいろと考えるのに時間をかけます。それが、また、楽しいのです。 東京の孫たちに会う時は、いつも飛行機を利用します。 その際、どの便を利用するのが時間的によいのか、そして、料金はどうかなどをいろいろ考えて決めます。 11月に東京の孫たちに会い行きました。その時は、8月下旬頃からいろいろと検討しました。 その結果、行きは、11月4日(日)羽田空港14:55着のJAL1870便のスーパー先得を利用して「クラスJ」席を求めました。料金は15,570円でした。当日は、日曜日、羽田空港に着くと孫たちは、空港の到着ロビーでニコニコしながら出迎えてくれました。 帰りは、11月19日(月)羽田空港15:15発のSNA77便のバーゲンC28を利用しました。料金は9,870円でした。結局、東京往復が25,440円の旅となりました。 今回利用しましたJALの「クラスJ」席は、国内線運賃にプラス1,000円を追加するだけで利用できます。写真のように少し広い座席でクッションも良く、足を上げられるレッグレストのリクライニングが付いていて、足を少しのばせる楽な姿勢にできます。機内の案内書に「クラスJ」席は、「ひとつ上の乗り心地、気軽にご利用いただけるくつろぎの空間」とありました。 私は、今回で2回目となる「クラスJ」席を利用して、ちょっとリッチな空の旅をしました。これからも航空各社のチケットの特色をいろいろと研究しながら最適の券を求めて、楽しくフライトしたいと思います。 ◆写真:平成24年11月4日(日)午後2時28分 鹿児島空港 → 羽田空港へ飛行中のJAL1870便の「クラスJ」席 |
師走に入り、出水では、師走行事の一つ「ツル観光周遊バス」・「周遊タクシー」の出発式が行われました。 出発式は、出水市観光協会主催で12月1日(土)午前9時から出水駅西口で行われました。 出発式では、先ず、出水市観光協会代表理事の宗像義政様、出水市長の渋谷俊彦様のあいさつがありました。お礼のことばが出水観光バス代表取締役の宇佐祐幸様からありました。 そして、テープカットがありました。最後に花束が、宇佐社長とバスとタクシーのドライバーに第26代出水市ツル親善大使から贈られました。 「ツル観光周遊バス」は、九州新幹線・おれんじ鉄道「出水駅」を出発して、「ツル観察センター」までの市内観光地を周遊するものです。 「ツル観光周遊バス」の運行は、出水駅発第一便が9時35分、最終便が14時45分で、1日6往復となっています。バスは、ほぼ1時間毎に発車し、「ツル観察センター」まで行き観光地を周遊して1時間足らずで出水駅に帰ってきます。 「ツル観光周遊バス」は、出水観光バスが担当されています。出水観光バス代表取締役社長の宇佐祐幸様は、「本社は、ツル観光者の交通手段として、長年担当しています。多くの皆様に大変喜んで利用していただいています。今年も多くの皆様にご利用いただけるように努力していきたいと思います。」とコメントしてくださいました。 ツルの渡来数は、11月10日(土)の第1回目の羽数調査で「万羽ツル」を確認し、16季連続の「万羽ツル」となりました。そのツル観察のために新幹線などで来られた方々には、「ツル観光周遊バス」の運行は、最適な交通手段だと思われます。 ●運行ダイヤ(平成24年12月1日〜平成25年2月28日)(1日6往復) 出水駅発 ツル博物館発 ツル観察センター発 武家屋敷発 出水駅着 9:35 → 9:42 → 10:05 → 10:27 → 10:32 10:35 → 10:42 → 11:05 → 11:27 → 11:32 11:35 → 11:42 → 12:15 → 12:37 → 12:42 12:45 → 12:52 → 13:15 → 13:37 → 13:42 13:45 → 13:52 → 14:15 → 14:37 → 14:42 14:45 → 14:52 → 15:15 → 15:37 → 15:42 ●バス停留所 (※印は要望に応じて停車します) 出水駅発(西口・1番バス停) → ツル博物館 → ※(特産館いずみ) → ツル観察センター → ※(箱崎八幡) → 武家屋敷 → 出水駅着 ●運賃 @1日周遊プラン 大人:1,000円(障害者手帳提示にて500円、1級以上は付添1名まで同じ) 小学生:500円(障害者手帳提示にて250円) 未就学児:無料 (特典:1日乗降フリー&クレインパーク&ツル観察センターの入館料込み、さらに、観 光牛車の割引も受けられます。) A半周プラン(片道) 大人:500円(障害者手帳提示にて300円) 小学生:300円(障害者手帳提示にて200円) 未就学児:無料 (クレインパーク&ツル観察センターは別途料金が必要です。) ●問合せ先 出水市観光協会 0996−79−3030 出水市観光交流課 0996−63−4061(直通) 企画実施会社(出水観光バス) 0996−62−1333 ◆写真:平成24年12月1日(土)午前9時12分 「ツル観光周遊バス」出発式、テープカットの模様 出水市:出水駅西口 1番バス乗り場 |
出水中央高校吹奏楽部の「鹿児島演奏会」は、12月1日(土)午後3時30分から約2時間、宝山ホール(県文化センター)で行われした。 開演を告げるアナウンスは、演奏席から長瑞季さん(Trup:1年生)の優しい声でした。その後の曲目等の紹介を全て担当していました。 最初の演奏曲「エヴァンゲリオン」が始まると同時に緞帳が上がりました。 ステージ一杯に陣取る90名の皆さんは、指揮者の福島玲士先生の巧みな指揮で気持ち良く、明るく、迫力のあるオープニングの演奏でした。 2曲目は「国民の象徴」でした。この曲の演奏の前に緞帳より前に座席を移動してステージいっぱいを利用して90名の演奏が始まりました。県高校吹奏楽コンクール課題曲で、横浜大会でも課題曲として演奏された曲で、迫力のある力強い演奏でした。 そして、「メリー・ウィドウ セレクション」、「SEDONA」と続きました。 オープニングから4曲の演奏は、吹奏楽の醍醐味を表現された素晴らしい内容で、満員の観客から演奏が終わる毎に大きな拍手が贈られていました。 ポピュラーミュージックは、最初の「SING・SING・SING」ては田上愛海さん(3年生)のトランペットソロ、舞台裏からの演奏に驚きを感じました。次はラテン系の「MALAGUENA」。そして、八代亜紀の「舟歌」と美空ひばり「愛燦燦」の代表的な曲でうっとりと「演歌」。「想い出のヒツト曲」では、松田聖子の「赤い珊瑚礁」、熊本県水俣市出身の村下孝蔵の「初恋」、西城秀樹の「ヤングマン」が紹介されました。お馴染みの懐かしい曲を巧みに演奏するステージに吸い込まれてしまいました。 「YAHーYAHーYAHーYAHーYAH」、「ザ・ピース」の2曲は、会場の皆さんも包み込んで必死の演奏。ステージ一杯に繰り広げられたマーチングとダンス、ダンスの中で上の写真のように「宝山ホール」等の文字をテンポよく表現していました。 このポピュラーミュージックのステージは、変化に富む場面が後方スクリーンの色彩も鮮やかな照明に浮かび上がり、心を癒される展開でした。 次のおどりは、「御神楽」と「ハイヤ節」、「花笠音頭」でした。「ハイヤ節」と「花笠音頭」は、赤・青・白・緑・ピンクの5色の大きな旗(縦3m、横1.7m)に彩られたステージで繰り広げられました。特に「ハイヤ節」は横浜大会でも5色の大きな旗をバックに演技され、満員の観客から感動の気持ちが伝わってきました。 最後の曲は、全員が正装(冬服)に着替えて、今年の県高校吹奏楽コンクール自由曲で金賞獲得、横浜大会でダブル賞獲得の「序曲『1812年』」でした。この曲の演奏は、演奏の前に全員の合唱を取り入れてからの演奏でした。自信に満ちた格調高い演奏は、最後を飾るに相応しい吹奏楽の神髄を表現していました。 そして、アンコールへと続きました。 当日は、定員1,622人の宝山ホールを超満員にして、およそ2時間、変化に富むステージの展開でした。私は、今年度最後の演奏会である「鹿児島演奏会」が、今までの集大成の気持ちで取り組み、必死に演奏・演技している真剣な態度に嬉しさを感じました。 当日、私の隣の席の70歳台の夫婦は、「指宿から初めて聴きにきました。出水中央高校の吹奏楽部の演奏が上手いと聞いてきました。高校生とは思えない、うわさどおりのメリハリのある素晴らしい演奏でした。そして、舞台展開で部員の動きの早さ・良さ、部員の笑顔など全てに感動しました。来年も来ます。」と話してくださいました。 そのことに、私は、全てが尽きると思います。 ◆写真:平成24年12月1日(土)午後4時30分 出水中央高校吹奏楽部「鹿児島演奏会」 鹿児島市:宝山ホール(県文化センター)(定員1,622人 =座席1,507席+立見115席) |
私の大好きな混声合唱団ソナ−レの定期演奏会が、12月1日(土)午後6時30分から出水市音楽ホールで行われました。 第31回を数える定期演奏会は、3部構成になっており、それぞれに特色のあるステ−ジでした。 第1部は、混声合唱・頑張ろう日本より@でした。 曲は、「あすという日が」や「アンパンマンの歌」、「負けないで」、「花は咲く」の4曲でした。指揮は団長の池田清様、ピアノ伴奏は前田千恵様・小山恵子様でした。 合唱は、混声合唱らしい表現が随所にみられて、非常に心を引かれる歌声でした。 第2部は、ソロおよびクリスマスコーナーでした。 先ず、ソロは、丸田由紀子様のソプラノソロでした。曲は、「アヴェ・マリア」と「ザ・ローズ」をピアノ伴奏を小山恵子様によって、繊細で力強く唱いあげられました。 クリスマスコーナーは、クリスマス・メドレーを混声合唱によって、「諸人こぞりて」と「サンタが町にやってきた」、「きよしこの夜」など6曲を池田清様の構成・編曲によって披露されました。 当日は、12月1日、クリスマスを迎える月であることもあって、会場の皆さんも一緒になって楽しい雰囲気で展開しました。 第3部は、混声合唱・頑張ろう日本よりAでした。 曲は、「夜空のムコウ」や「見上げてごらん夜の星を」、「行こうふたたび」、「大地讃頌」の4曲でした。池田清様の指揮、小山恵子様・前田千恵様のピアノ伴奏でした。 各曲とも混声合唱の醍醐味が表現されて、非常に奥の深いハ−モニ−が奏でられていました。 そして、アンコールに応えて2曲、披露されました。 団長で指揮者の池田清様は、「昭和57年(1982年)創立以来、多くの皆様へ支えられながら31回目の演奏会となりました。これからも、唱う楽しみを目標とする団員一同、力を合わせて頑張っていきたいと思います。」と力強く述べられました。 私は、高校時代に合唱部に属していましたので、混声合唱団ソナ−レの定期演奏会を毎年楽しみにしております。今年は、31名の団員によって展開しました。皆さんの格調の高い美しいハーモニーに、私は、心を吸い込まれてしまいました。心を酔わせた見事な演奏に、私は、『ブラボー』と声高らかに賞賛したいと思います。 当日は、北風の吹く寒い初冬の夜でしたが、心地良い気持ちで会場を後にしました。 ◆写真:平成24年12月1日(土)午後7時53分 混声合唱団ソナ−レ第31回定期演奏会、第3部「混声合唱 頑張ろう日本よりA」の場面 出水市:出水市音楽ホ−ル ●団員募集と練習日等 歌うことが好きなあなたなら、どなたでもOK!みんな待っています。 練 習 日:毎週金曜日 PM8:00〜10:00 練習場所:出水中学校 音楽室(体育館横) 連 絡 先:0996−82−0038(岩井様)、0996−62−9909(池田様) |
☆遠くへ とどけわたしたちの思い 笑顔 広がる 学習発表会☆ 上のスロ−ガンは、鹿児島県立出水養護学校の第13回学習発表会のものです。 第13回学習発表会は、12月1日(土)、午前9時30分から正午過ぎまで同校体育館で、多くの来賓・保護者・卒業生などを前に行われました。 内容は、小学部・中学部・高等部・訪問教育に学ぶすべての児童生徒の皆さんの出演によって、学習活動の一部が紹介されました。 当日は、プログラムbPの小学部1年の「はじめのことば」で始まりました。、 私が、特に、印象に残ったのは、プログラムbP2の高等部3年の「躍動〜進め!新しいステージへ!〜」の演技でした。 プログラムの案内によりますと、「昨年初めて取り組んだ『ジャンベ』の演奏でしたが、今年も『ジャンベ』のリズムに合わせて、私たちの熱い思いを表現したいと思います。今年は新たに10台のジャンベが加わりました。ジャンベの迫力と共に体も心も躍る私たちをご覧ください。」とあります。 15分間の演技は、先ず、ステージの『ジャンベ』が力強く打ち鳴らされると、少し遅れて体育館の入り口からもおよそ10台の『ジャンベ』が入場してきました。 ステージと体育館の入り口から入場の『ジャンベ』を打ち鳴らす音は、会場全体を包み込みました。力強い熱演を繰り広げる高等部3年生の演技に、私は、さすがだと思いながら聞き入り、終わると同時に大きな拍手を贈りました。 そして、最後のプログラムbP3の高等部3年の「おわりのことば」では、心のこもったお礼の言葉が述べられました。 私は、児童生徒の皆さんが、元気よく、明るく、力強く、そして笑顔で必死に取り組んでいる姿に心を引かれました。先生方もよりよい演技ができるように一生懸命にサポ−トされている姿を随所に見て、心暖まる思いがしました。そして、保護者の方々も多く見学されて、声援を贈っておられました。 当日は、師走に入り寒い日でしたが、児童生徒の皆さんの情熱で繰り広げられた素晴らしい学習発表会でした。 私は、感動場面の多い学習発表会を見学して、温かい気持ちで学校を後にしました。 ◆写真:平成24年12月1日(土)午後0時12分 鹿児島県立出水養護学校:第13回学習発表会(bP2高等部3年の「躍動〜進め!新しいステージへ〜」を紹介する場内案内板) 出水市:鹿児島県立出水養護学校体育館 |
出水市ウォーキング大会実行委員会では、12月1日(土)、「ツル」を眺めながらのウォーキング大会を実施されました。 今年で9回目となる「ツルのまちでウォーキング大会」は、県内のほか、九州各県や関東から約300名もの参加者がありました。 この盛況さから出水の『冬の風物詩』の一つに定着していると思われます。 今回の「ツルのまちでウォーキング大会」は、出水駅を出発し「ツル観察センター」までの14qのコース(帰路はバスで移動)に約220名、「ツル博物館」までを往復する7qのコース約80名が参加して行われました。 当日は、9時45分から出水駅多目的広場で行われた開会式で、先ず、出水市観光協会代表理事の宗像義政様、出水市長の渋谷俊彦様の歓迎のあいさつがありました。そして、準備体操が入念に行われて、元気よく出発して行かれました。 高尾野町から参加者された男性(72歳)は、「米ノ津川の左岸を海岸まで行き、福ノ江の海岸沿いに『ツル観察センター』まで歩く14qのコースに参加しました。不知火海を右手にみたり、万羽ツルが休養している姿をみたり、途中の景色の変化に見とれたりしながらな心地良い汗を流しました。皆さんと一緒なので楽しみながら歩きました。」と笑顔で話してくださいました。 当日は、初冬の冷たい北風が吹く天候でした。私は、出水に住みながら、出水の初冬の風情を知らないことがいろいろあります。この「ツルのまちでウォーキング大会」に参加して、参加者と一緒に語らいながら、いろいろと出水の知らない風情を発見してみたい気持ちになりました。 ◆写真:平成24年12月1日(土)午前9時46分 「ツルのまちでウォーキング大会」の開会式 出水市:出水駅多目的広場(肥薩おれんじ鉄道出水駅前) |
出水中央高校吹奏楽部の保護者会が今年度の最後の「鹿児島演奏会」の終了した後、会場に横断幕を3枚掲示されました。 その横断幕には、右の写真のような顧問の福島先生への感謝の気持ち、3年生への慰労の気持ち、そして、北川悠仁作詞・作曲でゆずが唱う『栄光の架橋』の一部が示されていました。 『栄光の架橋』の一部は、「誰にも見せない泪があった 人知れずに流した泪があった 決して平らな道ではなかった ・・・・ だからもう迷わずに進めばいい」と非常に大きな横断幕に書かれていました。 横断幕は、部員の皆さんが舞台で最後の演奏をしたり、あいさつをしたりしている時に、保護者の手によって掲示されました。全ての部員は、その横断幕を充分に読み取ることができたと思います。 横断幕は、全ての部員の皆さんへ、「熱き想い」でサポートされ、激励されていたことが伝わってきました。特に、3年生は、肝に銘じてほしいとの保護者の願いだと思います。 保護者会長の休坂博文様は、「定期演奏会は、今年で8年目、述べ開催回数40回を超えることになります。鹿児島県吹奏楽コンク−ルでも8年連続金賞を獲得しました。そして、全国大会にも8年連続出場しています。私たちは、子供たちがいつでも最高の演奏ができるように応援をしてきています。今年度の主な大会・演奏会を終了するに当たり、顧問の福島先生をはじめ、多くの皆様に大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いします。」と話しておられました。 私は、部活動で各部とも保護者会の方々がいろいろとサポートされている姿をよく見受けます。出水中央高校吹奏楽部の保護者会では、コンクールや演奏会などの各会場で積極的にサポートされていました。横浜大会では、遠方にもかかわらず、多くの方々が応援に来ておられました。 ここに掲載の出水中央高校吹奏楽部保護者会の「熱き想い」のメッセージは、部員の皆さんにとりまして、大変、ありがたいことだと思います。感謝の気持ちを忘れずに、これからも励んでほしいと思います。 ◆写真:平成24年12月1日(土)午後5時30分 出水中央高校吹奏楽部「鹿児島演奏会」終了後、顧問の福島先生への感謝のメッセージ 鹿児島市:宝山ホール(県文化センター) |
楊名時太極拳北薩友好会とNPO法人楊名時太極拳養生塾では、「帯津良一『場』の養生塾」との合同研修大会が計画され、去る12月8日(土)、出水市総合武道館で開催され、約200名の参加を頂き盛会裏に終えました。 帯津先生のご講話では、ポリスティック(人間まるごと)医学をべースにした『攻めの養生法』と希望の医学『ガンになっても諦めない』をテーマとした講演でした。 帯津先生は、ガン治療の権威で、養生法の達人であられるが、医学の専門的講話に流れず、先生の重厚なお人柄による温か味に溢れ、博学に豊かに彩られた面白い話題や話術には、心を引き付けられながら聴講することでした。また、新呼吸法「時空」の実践指導も行われました。 その後、平成24年度の昇段試験への挑戦もあり、全員による二十四式の演舞では、体感する技の充実と心身両面の満足度を高め合う大会となりました。 翌9日(日)は、鹿児島市のMBCメディアホールでNPO法人による初めての帯津先生の「場」の養生塾が開催され、約130名の参加者と充実した研修講座となりました。 この研修会に参加されたNPO法人楊名時太極拳養生塾の熟生の橋口維範様は、「2日にわたる鹿児島養生塾を通しての講話と実践会に参加し得るところも大であったことを紹介しておきたい。」と述べておられました。 ◆写真:平成24年12月8日(土)午後2時10分(写真は主催者提供) 講演中の帯津良一医学博士 出水市:市総合武道館 事務局:鹿児島県出水市五万石町261 0996−62−0037 |
私は、3年前に退職しました。 忘年会は、退職前とその後では、大きな違いがあります。 それは、構成メンバーや会場、雰囲気などです。今は、OB会や少人数の知人との忘年会が主流です。 ここでは、3会場の忘年会の雰囲気を紹介してみたいと思います。 今年の最初の忘年会は、11月2日(土)、霧島市溝辺チェコ村「バレル・バレー」でのA高校吹奏楽部保護者OB会にご招待していただきました。 私は、チェコ料理中心の食事を初めて頂きました。当日、生ハムやソーセージ、ロース、ポークなどにスパイスの効いたソースを付けて食べるチェコ料理を、私は、さすがだと思いながら美味しく頂きました。そして、名物の地ビールの味も格別でした。 この会は、保護者のOB会でしたので、当時の話題に華が咲き、時間の経つのも忘れてしまう非常に楽しい会でした。 そして、12月11日(火)は知人3名と出水市「魚普」で、12月17日(月)も知人3名と出水市「魚松」での忘年会でした。前者は魚を中心に、後者は魚を中心に肉も入る料理をお願いしました。上の写真は、「魚普」の魚料理を写したものです。写真にはありませんが、最後のご飯の時に伊勢エビの味噌汁が出てきました。 2会場とも、料理長の真心のこもった非常に美味しい料理でした。美味しい料理を頂ながら、共通の話題が多くて、次から次へと展開していく楽しい雰囲気に時間の経つのも忘れてしまい、3時間を超える忘年会となりました。 勤務している時の忘年会では、あいさつをすることが多くありました。 先ず、年内の苦労への感謝のことばとその年の慰労のことばを述べていました。そして、注目されていたのに職場のこの一年の出来事を『10大ニース』にまとめて発表していたことです。 『10大ニース』は、「私の独断で選んだものですが・・・」とお断りをして発表していました。先ず、第10位から発表していました。各順位の発表毎に出席者全員の瞳が私に注がれていました。発表毎にうなづき、大きな拍手を贈っていただいたことを想い出しています。 私は、今年の忘年会に数回参加しました。いつも楽しい雰囲気で嬉しく思っています。これからも予定されていますので、今まで同様、その場に合った楽しい話題を提供できるように心がけ、素晴らしい雰囲気になるようにしたいと思っています。 ◆写真:平成24年12月11日(火)午後7時05分 出水市:魚普(出水市黄金町512 TEL0996−62−6161) |
鹿児島市では、「観光レトロ電車『「かごでん』」が、土・日曜日、祝日に1日4便、走っています。 この電車は、今年の12月1日(土)から走り始めています。 12月1日は、鹿児島に市電が走り始めた1912年(大正元年)12月1日を記念しての日だそうです。 それから100周年、市交通局では100周年を記念して、新しく作られた「観光レトロ電車『「かごでん』」の運行を始めました。 新しい電車「観光レトロ電車『「かごでん』」は、大正時代から昭和30年ごろまで走行していた電車と同じようなデザインで当時をイメージした木目調です。明かりを採り入れるために2段屋根となっています。ドアが閉まる度に運転手が鳴らす鐘の音は当時を再現しています。 車内には長椅子と1人席6席を用意。鹿児島の雰囲気を出すために、薩摩切子をイメージした模様の座席シートを採用し、肘掛けには鹿児島市の市木である「クスノキ」の天然材が使われています。 電車内の観光案内は、サポートガイド(ボランティア)によって行われているとのことです。乗車の70分間は、鹿児島の色々な事柄の説明があって、鹿児島の理解に役立つ充実の時間になっていると思われます。 私は、雨の降る12月15日(土)に新しい電車「観光レトロ電車『「かごでん』」を「いづろ電停」から望遠で撮影することができました。電車は直ぐ見付けることができました。大正時代から昭和30年ごろまで走行していた木目調ですので、特色があります。 私は、今回、「観光レトロ電車『「かごでん』」を写真に撮るだけでした。早めに乗車して、サポートガイドの案内で鹿児島をより一層理解するとともに、乗客の方々の感想と自分の感想をこのコラムに掲載できればと思います。 鹿児島市交通局発行『観光レトロ電車かごでん運行』のパンフレツトによりますと、のりばなどは、次のとおりです。 ●出発時間と運行時間 出発時間:10時00分・11時10分・13時10分・14時20分。(出発時間の15分前から整理券を配布)、運行時間:約70分 ●運行日 土・日曜日、祝日運行(11月3日(祝)の「おはら祭」など、イベント開催時は運休となります、また、年末年始の土・日・祝日は運休します。) ●運賃・定員 大人320円、小児160円(1日乗車券、キュートも使用可)、定員:30人程度 ●乗降場所 乗車:鹿児島中央駅前のみ、降車:鹿児島駅前折り返し後であれば、降車可能 ●運行コース 鹿児島中央駅前⇒天文館通⇒鹿児島駅前⇒高見馬場⇒交通局前⇒都元⇒鹿児島中央駅前 ●お問い合わせ先 鹿児島市交通局 099−257−2111 ★参考文献:鹿児島市交通局発行『観光レトロ電車かごでん運行』 ◆写真:平成24年12月15日(土)午後3時01分 鹿児島市:山形屋前を走る観光レトロ電車「かごでん」、「いづろ電停」から望遠で撮影 |
今日は、12月24日、クリスマスイブです。 明日はクリスマス。当日の朝、良い子のもとへプレゼントを持ってサンタクロース (Santa Claus) が訪れるとされている伝説があります。 私の家族でも子供たちが、「サンタさん」の訪問を楽しみに待っていた頃を想い出します。 このクリスマスを祝うイベントが、世界各地で盛大に行われていることと思います。 私は、平成22年12月25日(土)、ニューヨークのど真ん中にあるロックフェラーセンターのクリスマスツリーを眺めていました。それは、全日本高校選抜吹奏楽団の総勢110名の一員として、カ−ネギ−・ホ−ルでの演奏に一緒に行っていました。 その時、ロックフェラーセンターは、多くの人出で賑わい、立ち止まってツリーを楽しむことはできにくい状況でした。ガイドを担当されたエムセック(MCEC)のAさんは、「ここに来られている方々のバスポートを見せていただくと世界中の全ての国々のを見ることができるかもしれませんよ。」と紹介されました。そうなのかもしれません。近くから聞こえてくる会話は、英語だけではありませんでした。・・・。日本語も聞こえてきましたが。 写真のイルミネーションは、鹿児島市役所前の「みなと大通り公園イルミネーション」です。私が訪れたのは、12月14日(金)、小雨の降る夜でした。雨のため人通りはほとんどありませんでしたが、左右の車道には車が多数駐車していました。その中からイルミネーションを眺め、写真に収めておられました。 写真の「みなと大通り公園イルミネーション」は、今年で21年目になるそうです。ケヤキ64本に約10万個の電球が取り付けられているそうです。その光は、写真でご覧のように誠に色鮮やかな灯りを放っていました。 私は、ニューヨークをはじめ、世界各地で賑わっているクリスマスの模様をテレビ等の報道で楽しみたいと思います。そして、その意義も改めて理解したいと思います。 ◆写真:平成24年12月14日(金)午後6時45分 鹿児島市:市役所前の「みなと大通り公園イルミネーション」市役所側から港方向を見る |
今日、27日、我が家では出水市野田町の知人宅で「餅つき」をしてきました 朝10時過ぎから始められた「餅つき」は、途中に休憩を取りながら、進められました。 「餅つき」は、餅米を準備し、前日には水につけ、当日は長時間、蒸します。 その後、蒸された餅米は、餅つき機に入れてつきます。出来上がった餅は、「鏡もち」にしたり、「のしもち」にしたり、「小もち」にしたりするために手で切り取られます。それを手でもみ、綺麗に仕上げます。すべて手作業です。 お正月の「杵と臼」による古典的な「餅つき」は、一般家庭では、ほとんど見ることができなくなりました。それは、昭和49年(1974)に小型の電動(自動)餅つき機の普及によるものです。「杵と臼」による「餅つき」は、子供会などの特別な行事だけにしか見ることが出来なくなってしまいましたが、『歳末の風物詩』として語り継がれています。 何故、お正月に「餅つき」をするのでしょうか。 それは、 『ウィキペディア・フリー百科辞典』によりますと「古来から日本では、稲作信仰というものがあり、特に平安時代から朝廷に推奨され顕著になった。これが現在でも受け継がれ、正月などの『ハレ』の日の行事には欠かせない縁起物の食材となっている。」と記載されています。 正月などの『ハレ』の日の行事には欠かせない縁起物の食材の餅は、お陰様で準備ができました。我が家の年の瀬の準備が一つ揃ってきたことになります。 当日、知人宅で「餅つき」でお世話になりながら、その後、食事までもご馳走になってしまいました。・・・良き忘年会となりました。 ◆写真:平成24年12月27日(木)午後0時15分 出水市:野田町の知人宅にて |
今日は、12月29日(土)、今年も後、3日となってきました。 師走に入ると恒例になっているその年の流行語大賞などの発表がありました。 それは、今年の世相などを非常に良く表していると思います。 ここで、もう一度、取り上げてみたいと思います。 @今年の漢字は「金」でした。 12月12日に発表されました。今年は金星日食やロンドン五輪の日本選手の活躍により金メダルを多く獲得しました。そして、高さ世界一の東京スカイツリーの開業、山中伸弥京大教授のノーベル賞受賞などがありました。それらのことから今年の漢字は「金」が選ばれました。 A今年の流行語大賞は「ワイルドだろぉ」でした。 12月3日、今年の「第29回新語流行語大賞」が発表されました。年間大賞にはお笑い芸人スギちゃんの持ちネタ「ワイルドだろぉ」が輝きました。 B今年の男の子は「蓮(れん)くん」、女の子は「結衣(ゆい)ちゃん」でした。 12月3日、今年の一番人気の名前は男の子は「蓮くん」、女の子は「結衣ちゃん」と発表されました。「蓮くん」は2年連続、「結衣ちゃん」は初めての首位だということです。 そして、我が家の今年を漢字で表すと「健」でした。 私は、7〜8月、頭痛に悩まされました。その時に「健康」が如何に大切であるかを痛感しました。そして、3月に孫が誕生しました。昨年7月にも誕生していますので、4名になりました。孫たちの「健やかな成長」を願っています。それらのことから我が家の今年を表す漢字は「健」にしました。 今年も本当に残り少なくなってきました。正月の準備、メモを見ながら時間に余裕をもって、リズムカルに取り組んでいきたいと思っています。 ◆写真:平成24年12月28日(金)午後3時15分 今年の12月のカレンダー 出水市:五万石町の自宅にて |
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私は元日に親戚宅に行き、その家に伝わる里芋の入ったお味噌汁と、焼きエビと昆布で出汁を取った雑煮を頂いてから、近くの箱崎八幡神社へ親戚総勢14名で初詣に出掛けました。 まず、境内の正面の「茅輪」を八の字にくぐってから手や口を清めて入りました。 次に神殿へ進んで祈りを捧げます。後ろの人たちが「二礼して二拍手して、一礼だよね?」と祈り方を確認しあっているのを耳にしながら、例を示すかのように、ゆっくりと丁寧に二礼二拍手して、一礼をします。「新年早々、神様の前で善行をしたな〜。」と悦に入りながら「おみくじ」コーナーへ。 「おみくじ」を引くと、今年も「大吉」でした。幸先がよいので持ち帰ろうかとも思いましたが、できるだけ高い木の枝に強く結んで、書かれている事柄が実現できるように祈ってきました。 最後に「招福開運」の熊手を求めました。我が家では、毎年、家内の守り神として購入しています。大きいので目に付き、一年を通して存在を忘れずにすむので重宝しています。 途中で知り合いの方々と顔を合わせたので新年のあいさつを交わしました。「今年もどうぞよろしくお願いします。」と。 その日は曇、雨、晴と天候が定まらない一日でしたが、お参りの際は雨が降りませんでした。親戚と「雨が降らなくてよかった。」と話しながら「そういえば元日って、ちょっと天気がよかったり、人と会ったりといったことでも普段以上に嬉しく感じられるな〜。」と思ったことでした。 ◆写真:平成25年1月1日(火)午後1時15分 出水市:箱崎八幡神社 |
箱根駅伝で日体大の総合優勝、おめでとう。 優勝の日体大のアンカーは、出水中央高校出身の谷永雄一選手です。 アンカ−としての重責を担った谷永選手は、自分のペースを守り、快調に走り堂々の優勝のゴールに飛び込みました。 日体大は、昨日の往路優勝をしていましたので、総合優勝が大きく期待されていました。今日の往路の5名の各選手は、快走して常にトップを維持して優勝のゴールをしました。、 谷永選手は、出水中央高校時代の3年生の時、鹿児島県高校駅伝大会の1区で区間賞を獲得したり、県下一周駅伝競走大会で区間賞を獲得したりするなどの実力者です。 日体大に進学後も順調に成長してアンカ−に登用されました。谷永雄一選手の頑張りに大きな拍手を贈りたいと思います。 「箱根駅伝総合優勝、おめでとう 日体大・アンカー谷永雄一選手」 ◆写真:平成25年1月3日(木) 箱根駅伝、最終区10区の11.2キロ地点を激走する谷永雄一選手 写真撮影:本社関係者より電送 |
お正月には、今年も出水市内の多くの役所や事業所、学校、家庭などの玄関に「門松」が設置されています。 子どもの頃は作っていて、今は購入することが多い「門松」ですが、新聞を見ると、いろいろな所で「ジャンボ門松」が作られている記事が掲載されています。 そこで私も近所で「ジャンボ門松」を見付けてみることにしました。 いろいろとありましたが、なかでも西出水小学校の「門松」に驚きました。 中心の竹の高さが約2m70cm、台座の周囲が約3m80cmの大きさです。これが私が見た中では一番大きいでした。 ついでに歴史も調べてみました。中国が唐の時代、家の門の前に「長寿を象徴する松」を飾ったとが始まりだと言われています。それが日本に伝わり、平安時代から始まったそうです。 その時代に書かれた『徒然草』第一九段(三)には、「大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ」とあります。つまり、「大通りの様子も門松を立てて並べてはなやかであるのは、またしみじみと趣きがある。」と訳されています。 作られた物や描かれた絵を購入して済ませるところがある一方、作るなら少しでも大きく…と二極化の傾向にある「門松」ですが、長寿を祈り、家族の繁栄を願う気持ちは普遍的だなと思うことでした。 出水地方では1月7日に撤去されることの多い「門松」ですが、その奥にある思いに心をはせながら、大きさや美しさを楽しみたいと思います。 ◆写真:平成25年1月3日(木)午前10時50分 出水市:西出水小学校の「ジャンボ門松」 |
平成25年出水市成人式は、1月5日(土)午前11時30分から約1時間15分、出水市文化会館で行われました。 今年の出水市の新成人は600名。その中の560名が参加し、厳粛で整然とした中、行われました。 式典の前に小学校区毎に記念写真の撮影が行われ、式中の「記念品贈呈」において、その目録が新成人代表の矢野舞美さんに市長から手渡されました。 「激励のことば」では高尾野青年団長の岩ア泉さんが、「私は、7年前の成人式て実行委員でした。そして、ここで新成人代表者謝辞を述べたことが思い出されます。その後、高尾野青年団長として将来の夢に向かって皆さんと力を合わせて努力しています。皆さんは、若きエネルギーを充分発揮し、これからの出水市を動かす風となるよう活躍されることを期待します。」などと力強く激励されました。 「恩師からのメッセージ」では、新成人が中学校3年生の時の担任の先生方7名(市内の中学校は7校、複数学級の学校は代表者)から「はなむけのことば」がビデオレタ−の形で紹介されました。新成人の皆さんは当時を想い出して感慨深げな様子でした。 最後に「新成人代表者謝辞」として渡邉舞さんが、「成人として節目の日を迎えた私たち新成人が先頭となって推進していくために大人としての自覚と責任を持ち、社会に貢献できるように、自ら小さなことから明るい未来のために力を合わせていきたいと考えております。今日はありがとうございました。これからもどうぞ、よろしくお願いします。」と感謝の気持ちを心から述べていました。 式典は、司会進行が新成人の揚松智哉・鎌田拓磨さんのメリハリのある透き通った声で進められました。手話通訳も入り、心遣いが感じられました。そして、高校生クラブの鶴翔高校・出水商業高校・出水中央高校の8名の皆さんも裏方として頑張っていました。今年の成人式は、実行員会を昨年9月に発足され、7名の実行委員で検討されて今日を迎えたようです。 私は、若さと笑顔一杯の新成人の集う成人式に参列して、心を躍らされました。成人式は厳粛で整然と進行していました。挨拶された方々(市長式辞、市議会議長・衆議院議員祝辞)の心に届く含蓄のある内容は、会場の皆さんの心を動かし、熱心に聞き入っておられました。そして、会場内の来賓・保護者・一般の方々からも暖かい祝福のことばと拍手が贈られていました。 前途洋々たる新成人の皆さんの飛躍を心からお祈りします。 ◆写真:平成25年1月5日(土)午後0時33分 中央は新成人代表者謝辞を述べる渡邉舞さん、左は司会の揚松智哉・鎌田拓磨さん 出水市:出水市文化会館(1,159席) |
出水市石坂自治会では、1月6日(日)午後5時過ぎから西出水・石坂の田圃で「鬼火焚き」が行われました。 竹や木材などで作られた「やぐら」の点火は、今年の4月に小学校に入学する2名と今年還暦を迎えられる4名によって行われました。 たいまつで点火をした今年入学する岩崎来咲ちゃんと亀山大樹ちゃんの2人は、「最初は怖いと思いましたが、火をつけると燃え上がって嬉しくなりました。大変熱くなってきました」と、威勢よく燃え上がる火を満足そうに見上げていました。 石坂自治会長丸尾重徳様は、「石坂では、無病息災を願うと同時にお互いに新年の挨拶を交わす場、親睦を深める場としても利用していただいています。天候に恵まれて、多くの方々の参加があり、大変嬉しく思います。」と述べておられました。 石坂自治会の老若男女の皆さんは、「もち」を持って参集され、鬼火焚きの火でそれぞれの手法で焼いておられました。持参された魚や肉などを焼き、焼酎やビールやお茶などを飲みながら、新年のあいさつに華が咲き、楽しんでおられる姿を随所にみることができました。そして、この場は、親睦を深める貴重な場として、大いに役立っていると思いました。 私は、数年前から毎年参加しています。当日は、天候にも恵まれて、多くの方々が参加しておられました。写真の手前には、椅子に腰掛けておられる老婆の姿が見受けられます。この光景は、石坂自治会の取り組みを如実に表れている証拠だと思いながら、シャツターを押しました。 ◆写真:平成25年1月6日(日)午後7時 出水市石坂自治会の鬼火を囲んで話しに夢中の老婆 出水市:西出水・石坂の田圃 |
出水市消防出初め式の「市中行進」・「分列式」が、1月6日(日)に行われました。 「市中行進」は、第一会場の総合運動公園多目的広場を出て、「かみちしきはし」を渡り、市役所前の交差点まで直進して右折し、市役所前を通り国道447号を広瀬河原へと進む、約1.8qでした。 「市中行進」では、市長と消防団本部団長のオープンカーを先頭に、西出水小学校マ−チングバンドの皆さんの演奏する素晴らしい曲に乗りながら行われました。 そのマ−チングバンドのすぐ後に、7校の小学校の少年消防クラブの皆さんが元気よく行進して、華を添えていました。 少年消防クラブの後に、出水市消防署の署長と職員、大きな消防自動車・救急車の団体が整然とした行進を披露されまた。 その後、第1分団から13分団まで、団長を先頭に団員と所属の消防自動車が共に行進する隊形でした。団員の勇壮な行進、赤色灯を点滅した消防自動車を伴なわれての行進は、誠に壮観でした。 市役所前での「分列式」は、写真のように市役所正面に設けられた特設観閲台で渋谷俊彦市長が、行進してくる各分団ごとの挨拶に対して、答礼をされていました。 当日、天候にも恵まれ、沿道を埋め尽くしておれる多くの市民は、威風堂々の「市中行進」と「分列式」に大きな声援を贈っておられました。 私は、およそ1.8qの「市中行進」とその途中の市役所前の「分列式」を見学しました。出水市内の多数の消防団員の皆さんは、整然と勇壮で迫力ある行動を展開されていました。その姿に、私は、頼もしさを感じました。 、 ◆写真:平成25年1月6日(日)午前11時01分 出水市消防出初め式での「市中行進」・「分列式」の様子 出水市:出水市役所前 |
出水市消防出初め式は、1月6日(日)「市中行進」・「分列式」が終わると、米ノ津川の広瀬河原での「一斉放水」・「閉会式」へと進みました。 「一斉放水」は、午前11時30分からおよそ10分間、広瀬河原の30台の消防自動車と対岸の1台のはしご車から行われました。 花火の合図で、一斉に放水が始められ、赤、緑、黄の3色と無色の水は、新春の青空に放たれ、虹のような鮮やかな彩りでした。米ノ津川の両岸の多数の観客も同じ思いで見つめておられたと思います。 その後、「閉会式」が行われました。 私は、出初め式の「市中行進」・「分列式」、それに米ノ津川の広瀬河原での「一斉放水」を見学しました。勇壮で機敏で元気な姿で行動されている出水市消防団員の動きを理解することができました。そして、市民のために頑張るという雰囲気が伝わってきました。この雰囲気に、力強さを感じました。 ◆写真:平成25年1月6日(日)午前11時35分 出水市消防出初め式での「一斉放水」の様子 出水市:米ノ津川右岸の広瀬河原に並ぶ30台の消防自動車と対岸のはしご車 |
出水中央高校出身の谷永雄一選手は恒例の箱根駅伝競走大会の日体大のアンカーとして優勝のテープを切りました。 第89回東京箱根間往復大学駅伝競走大会は、1月2日・3日行われ、日体大が、30年振りの総合優勝を飾りました。 谷永選手は、母校の出水中央高校の後輩の皆さんへ、1月8日(火)体育館で優勝の報告をしました。 その中で「母校に誇りを持とう。私がゴール前に胸の『日体大』のゼッケンを触つたのは『日体大』の誇りがそうさせたのです。皆さんは『出水中央高校』に誇りを持って行動しましょう。」と力強く語りかけました。 谷永選手を指導されていた顧問で監督の玉目隆博教諭(保健体育科・日本体育大卒)は、「谷永選手は、直で自分から進んで積極的によく練習をしていました。その成果が現れ、3年生の時、鹿児島県高校駅伝大会の1区で区間賞を獲得したり、県下一周駅伝競走大会で区間賞を獲得したり、平成20年度の全国都道府県対抗男子駅伝大会に鹿県代表として出場しました。」と実力があったことを紹介されました。 私は、テレビで応援を続けました。中継地点でタスキを受け取る時の笑顔が印象的でした。あの笑顔は、自信の表われだったのでしょう。途中の走りも見事でした。 優勝してすぐに本社のコラム紫尾山に、「【第519回】箱根日体大谷永君(出水中央高出身)優勝ゴール」で掲載しました。 翌日の4日(金)、私は、谷永君と電話で話をしました。優勝のゴール・胴上げ・マスコミ出演など嬉しさ一杯の様子が伝わってきました。 〜 優勝おめでとう!谷永君 〜 ★谷永雄一選手は、母校の出水中央高校へ優勝の報告へ来ました。そして、全校の生徒の皆さんへの報告会がありました。その凱旋の様子などが、南日本新聞とMBCテレビの「ズバッと!鹿児島」で紹介されました。 なお、MBCテレビの放送は、本社から放送されたものです。その模様は、本社の【新着映像】に掲載してあります。常時掲載されていますので、アクセスしてご覧ください。 ●南日本新聞、2013年(平成25年)1月13日(日)13面(地域総合)に掲載 「学校に誇り持とう」 箱根駅伝Vの谷永選手凱旋 出水中央高 ●南日本新聞、2013年(平成25年)1月16日(水)23面(スポーツ)に掲載 『曲走路』 箱根駅伝V日体大アンカー谷永(出水中央高卒) 屈辱超えた栄冠に涙 ●MBCテレビ 平成25年1月14日(月)「スバかご」で紹介 本社の【新着映像】 2013-01-14 ズバッと!鹿児島 いずみテレビの出水情報、○箱根駅伝総合優勝→日体大・谷永選手が母校に凱旋! ●本社のコラム紫尾山、「【第519回】箱根日体大谷永君(出水中央高出身)優勝ゴール」 [平成25年01月03日 13時45分] ◆写真:平成25年1月12日(土)午後1時15分 「谷永雄一選手の健闘・活躍を称える」横断幕 出水市:出水中央高校体育館の横 |
私は、「RBC、OB・OG会」に参加して学生時代を想い出しました。 それは、私がRBC(立命館大学放送局)に属していたからです。 このOB・OG会の全九州地区懇親会が、1月13日(日)午後1時から、およそ2時間、「博多都ホテル日本料理『四季亭』」でありました。 今回、初めて九州で開催された全九州地区懇親会には、9名の参加でした。 本部からRBC、OB・OG会長の福村和広様(昭和59年卒)と副会長の藤井明登様(昭和62年卒)の2名。そして、地元九州からは45名の中で福岡県・大分県・熊本県・鹿児島県から7名の参加でした。 私は、昭和37年の卒業で、今回の参加者の中では最長老でした。 最も若い方は、平成10年卒業で現在NHKアナウンサーとして活躍中のOGでした。年齢差がありますが、大学時代に『放送』という同じ興味・関心を持った者の集まりで、共通の苦楽をした仲間の会ですので、話題は尽きませんでした。 福村会長は、あいさつの中で、「OB・OG会は、一昨年から関東、関西、東海、そして、九州地区で懇親会を開いてきました。地方の活動の活性化を目指しています。京都での全体の、「RBC、OB・OG会」は、3年毎の開催を予定しています。」と全国各地での多様な参加の促進を強調されました。 私は、立命館大学文学部へ高校の地理の教師を目指して入学しました。部活動ではRBCのアナウンス部に入学して間もない4月に入りました。それは、昼食時間に放送されるRBCの爽やかな校内放送に魅力を感じ、あの素晴らしいアナウンスをしてみたいと思ったからです。 入部するとアクセントやイントネーションなどに苦労の連続でしたが、先輩や専門家のご指導でどうにかマイクに向かうことが出来るようになりました。マイクに向かって、定時の学園ニュースやお知らせをはじめ、関西六大学野球(当時)の実況放送やニュース解説など多くの番組を担当させていただきました。 あれから、50有余年・・・・・、「RBC、OB・OG会」は、学生時代を想い出す有意義な会でした。 ◆写真:平成25年1月13日(日)午後1時30分 「RBC、OB・OG会、全九州地区懇親会」の会食を前に 福岡市:博多都ホテル日本料理「四季亭」 |
出水の「ツル」の今季最後の羽数調査が、平成25年1月12日(土)に行われました。 その時、1万3138羽が確認されました。その数は過去2番目に多い数です。 過去最高は、平成12年に記録された1万3521羽ですので、その数に383羽と迫る数です。 このように渡来数が多いのは、「ツル」の越冬に適する環境の整備がなされているからだと思います。 荒崎、東干拓の両休遊地の一帯には、毎日多くの餌がまかれ、静かに休めるようにと黒いビニールが張り巡らされています。また、出水市民の「ツル」を迎える温かい心、多く訪れておられる観光客のマナーも大きいと思われます。 いろいろなことに配慮されている県ツル保護会の皆さんをはじめ関係者の皆さんの努力の賜物だと思います。 いよいよ今月末から北帰行が始まります。無事にシベリアへ帰り、来季も元気よく渡来してきてほしいものです。 そして、来季も『万羽ヅル』を記録し、17季連続となる『万羽ヅル』が計測史上最多の渡来数となることを心待ちにしたいと思います。その数は、夢ではない数たと思います。 私は、「ツル」が越冬している荒崎、東干拓の両休遊地を毎年、数回、見学へ行きます。「ツル」は、いつも気持ち良さそうに餌を食べたり、夫婦と思われるつがいで楽しそうに休遊したりしています。 ◆写真:平成25年1月11日(金)午後4時15分 出水市:東干拓休遊地、(後方の高い山は、矢筈岳=標高687m) |
私は、お正月に頂く年賀状(年賀ハガキ)が、非常に楽しみです。 一枚一枚を入念に、何もかも忘れて集中して読む楽しみがあります。 今年の年賀状の中から想い出に残る2通をご紹介したいと思います。 いずれも担任をしていたK君とT君からのものです。 昭和39年(1964年)に高校入学のK君からは、「先生から初めて年賀状を頂いたのは、私の高1の時でした。あれから弓で矢を引くた如く、あっと言う間の49年が過ぎ、何か夢でも見ていたような気持ちです。人生まだまだ先、これからが楽しみです。」と。 昭和55年(1980年)に高校卒業のT君からは、私が昨年8月の同窓会に参加する予定を体調不良で欠席したことに対して、「体調はいかがですか? 今年はお会いしたいです。」と。 K君からは49年続いている年賀状、T君からは今年初めて頂いた年賀状、その上、私の体調を気遣っての内容などに感激しました。 私は、今年も多くの方々と年賀状の交換ができて、感謝しています。一枚の年賀状には、いろいろな思いが込められている貴重なハガキだと、私は思っています。 それは、@新年のあいさつ。A1年間の動向をお知らせする。B一年お世話になった方へのお礼を述べる。C新らしい年への決意を述べる。Dお相手の表彰や業績を称える。など・・・があるからです。 また、一枚一枚の年賀ハガキの番号を入念に確認して、当たりがないかどうかを探す楽しみがあります。今年の当たりは、切手シートのみでしたが、大変嬉しく思っています。 早速、今日(23日)郵便局へ行き、巳が図案化された美しい50円と80円2枚の入ったお年玉切手セットを引き替えてきました。 郵便局で景品を引き替えると、私は、自分の分類に従って整理し、年末の発送に備えておきます。 年賀状を書き始めてから、およそ一月間、私は、年賀状とのドラマを感じています。それは、書く楽しみ、読む楽しみ、当選番号を確認する楽しみ、そして、景品を手にする楽しみなどです。 ◆写真:平成25年1月22日(火)午後4時05分 今年頂いた「年賀状」の中から 出水市:五万石町の自宅にて |
私は、知人と3名で地元の西出水の居酒屋「建四郎」で1月23日(水)の午後7時から新年会を開きました。 3名は、今年に入ってから、数回、会っていました。焼酎を交わしての宴としての新年会は,初めてでした。 新年会は、気心の知れた方との宴ですので、今年の抱負や思い、共通の話題などが続き時間を忘れさせる場となりました。 当日,雰囲気のよい居酒屋「建四郎」で、ビールと焼酎、そして、串焼き、刺身、揚げ出し豆腐、野菜炒め、焼きそばなどを肴として・・・・・。 居酒屋「建四郎」の店主の前平正美様は、「うちでは、『刺身サラダ』に人気があります。また、『串焼き』も注目されいます。新鮮な魚を用いた魚料理の献立も多いですが、お客様のご注文に応じていろいろ対応しています。本店のモットーは『ここで ほっと していって下さい』です。」とにこやかに話してくださいました。 その名のとおりの居酒屋「建四郎」で。私たちは、美味しいビールと焼酎、いろいろな料理を肴にして新年会を祝いました。 地元の西出水在住の3名は、居酒屋「建四郎」に近いこともあって、徒歩と自転車で集まりました。そして、帰りは、寒い冬空の星を眺めながら、ルンルン気分で帰りました。 ◆写真:平成25年1月23日(水)午後7時20分 串焼き,ボンタンとレタスのサラダ(特別メニー)、 出水市:居酒屋「建四郎」(出水市西出水町1671 TEL0996−63−2010) |
出水の「ツル」は、北帰行の第一陣が今日(1月29日)飛び立ったと出水市のHPに掲載されました。 出水市のHPには、次のように掲載されています。 「・・・。平成25年1月29日(火)午前10時30分頃、マナヅル18羽が長島町方向へ飛び立ち、今季初めての北帰行が始まりました。この北帰行は昨年度(1月30日)に比べ1日早いものです。・・・。」と。 北帰行について、『出水のツル』(千羽晋示著:春苑堂出版)に次のようなことが述べてあります。(○の文は、『出水のツル』より引用) ○ツルの北帰行は、上昇気流に乗っかって行くことは、よく知られているところである。 ○早いものは朝7時前後に、普通は8時半以後に旅立ちが始まり、午後1時ごろには終わる。 ○帰北の際の飛翔高度では、八代海上を200m程の高さで北へ向かうナベヅルの群れを長島から見ることができる。 これから2月下旬までは主にマナヅルの北帰行がみられ、3月に入るとナベヅルの北帰行が始まると言われています。天気がよく風が穏やかな日の午前中は、北帰行の様子が観察できると思われます。 今季の渡来数は、過去2番目に多い1万3138羽が確認されました。その全てのツルが元気よく、飛び立ち、無事に自分の住むシベリアへ帰り着いてほしいものです。そして、来季もまた、ここ越冬地出水へ、元気よく渡来して来てください。 その間、長い道程ですので、どうぞ事故などがありませんように・・・。 ◆写真:平成25年1月11日(金)午後4時10分 写真は北帰行の第一陣の様子ではなく、東干拓休遊地の上空を飛び交う様子、 出水市:東干拓休遊地、(後方の山は、矢筈岳連山) |
出水中央高校吹奏楽部は、1月17日(木)第2回北薩支部高校総合文化祭で『元禄』を演奏しました。 この北薩支部高校総合文化祭は、鹿児島県高等学校文化連盟北薩支部主催、出水市教育委員会・南日本新聞社の後援で行われました。 総合文化祭は、展示部門(14日〜17日、出水市中央公民館)とステージ部門(17日、出水市文化会館)で行われました。 ステージ部門の最後の12番目に登場の出水中央高校吹奏楽部は、『元禄』を1・2年生58名が初めての舞台で披露しました。『元禄』の演奏は、初めての舞台とは思えない素晴らしいハーモニーで強弱、メリハリもよく表現されていました。指揮をされた福島先生も驚いておられたように、素晴らしい演奏でした。 この『元禄』は、出水中央高校吹奏楽部ではよく演奏されている曲で、指揮者の福島先生も好んでおられるようです。 @平成17年8月2日(日)県高校吹奏楽コンクールの自由曲として『元禄』を演奏しました。強化部に指定されて最初の大会でしたが、金賞を獲得しました。 A平成17年11月6日(日)、日本管楽合奏コンテスト全国大会(主催:公益財団法人日本音楽教育文化振興会)で3,000人収容の東京文京シビックホ−ルで『元禄』を演奏して、優秀賞を獲得しました。初めての出場でした。 B平成22年12月26日(日)午後8時40分からニューヨーク・カ−ネギ−・ホ−ルで、日米親善交流記念コンサ−トとして「全日本選抜吹奏楽団」の演奏がありました。その中で福島先生は『展覧会の絵より「キエフの大門」』と『元禄』を指揮されました。特に『元禄』には大きな拍手と『ブラボー』が贈られたのが印象的でした。 そして、17日(木)の第2回北薩支部高校総合文化祭では、12団体が参加して展開され、最後の12番目に登場の出水中央高吹奏楽部は、『元禄』でした。トリを飾るに相応しい曲として取り上げられ、指揮者と演奏者の息が合った心に届く誠に素晴らしい演奏でした。 以上、『元禄』を演奏された4回のステージを全て聴きました。『元禄』の特徴がよく表現されていて、いつ聴いても感動しています。演奏者は違いますが、感動場面が同じということは、指揮者の指揮と演奏者の力だと思います。その意味から演奏者の力とともに指揮者福島先生の思い入れが演奏に大きく生かされていると思うのです。 私は、その素晴らしい指揮者と演奏者に大きな声で『ブラボー』とお贈りします。 ◆写真:平成25年1月17日(木)午後3時10分 『元禄』を演奏中の出水中央高校吹奏楽部1・2年生58名、指揮者の福島玲士先生 出水市:出水市文化会館 |
私は、「節分」の2月3日(日)、東京の孫宅へ行くため。前日の2日(土)の夜、市販の「ジャンボ恵方巻」を食べて、これから1年間、多くの福を招くことにしました。 その「ジャンボ恵方巻」は、「極鮮巻」と名付けられて販売されていました。 それは、カンパチなどの白身魚・生マグロ・ボイルエビ・きゅうり・いくら・たまご・かにかまなどを具にして巻かれ、直径が約10p、長さが20pのでっかい大きさでした。 これを4等分にして、娘と2回に分けて頂きました。 我が家が、この「ジャンボ恵方巻」を求めたのは、多くの福が授かるのを期待したからです。今年の恵方の「南南東」を向いて、目を閉じて一言も喋らず、私は、願いごとを浮かべながら祈りました。 そして、私は、3日(日)の夜、娘宅で孫たちと一緒に「恵方巻」をいただきました。私は、出水と東京の2か所で「恵方巻」をいただいてしまいました。今年は、例年以上に福が授かるような気がしてなりません。そうなることを祈っています。 ◆写真:平成25年2月2日(土)午後2時35分 出水市:五万石町の自宅にて |
2月4日(月)は、二十四節気の一つ、立春(りっしゅん)です。 「立春」は、『暦便覧』によりますと、「春の気立つを以って也」と記されています。 その書の解説では、「大寒から立春までは、一年のうちで最も寒い季節であり、立春を過ぎると少しずつ寒さが緩み始め、春の気配が忍び入ってくる」とされています。 私は、3日(日)、東京都の西部の多摩地区に位置する小金井市の娘宅に来ました。 立春の4日(月)は、快晴に恵まれていましたので、近くの東京都小金井公園まで足を伸ばしてみました。ここ東京都小金井公園は、昭和29年(1954年)1月14日開園、799,127uの広大な公園です。 この公園では、立春の4日(月)、気温の高いこともあって、多くの方々が来ておられ、自転車に乗ったり、滑り台で滑ったり、ぶらんこで遊んだりしながら陽春の日差しの中を楽しんでおれました。そして、テニスコートではテニスを、ソリゲレンデではソリをしておられる方々もありました。 私は、公園内の散策を楽しみました。広い公園の中で迷子になりそうでしたが、案内板を見ながら、およそ1時間30分、歩き回りました。気温が高くなりコートを脱いでも汗をかく状況でした。そして、空を見上げると写真のように非常に透き通った美しい青でした。 ◆写真:平成25年2月4日(月)午後0時50分 東京都:小金井市の東京都小金井公園の入り口にて |
東京の多摩地方は、6日(水)明け方から降り出した雪で銀世界と化しています。 私がお世話になっている東京西部の多摩地方に位置する小金井市では、ご覧のような雪景色です。 東京の雪は、昼頃まで降り続くと報道されていますので、もう少しは積もるものと思われます。 私は、孫たちが学校・幼稚園へ行った後、久しぶりに銀世界のスナップ写真を撮りに出歩きました。 孫たちは、学校・幼稚園から帰ってきたら雪合戦などの雪遊びをしたいと言って楽しそうに出掛けて行きました。今から、楽しみにしています。 各報道機関では、昨日から「大雪」の予報を繰り返し報道していました。そのため、「大雪」に対する対応は充分に出来ていたようです。車はチエーンを装備しているのも数多く見受けました。いつもは、自転車での通勤・通学者もほとんどの人が他の交通機関に変えての朝の状況でした。 私は、久しぶりに大雪を見ましたので、非常に寒い中を歩いてみました。雪で滑りやすい歩道の感触を味わいながら歩きました。雪の少ない南国鹿児島人だと思いながら滑らないように気をつけて歩きました。 ◆写真:平成25年2月6日(水)午前8時37分 東京都:小金井市の梶野橋にて(JR中央線「東小金井駅」まで1.2qの道路標識あり) |
出水市西出水出身の歌手前田瑠美さんの「北薩応援の会」の新年会が、1月31日(木)夜、出水市カラオケ「ひばり」を一杯にして行われました。 当日は、前田瑠美さんのイベントの報告や北薩応援の会の会務報告、参加者の自己紹介、出席者のカラオケなどがありました。 そして、前田瑠美さん自身が4枚目のアルバム『情景歌』の中にある『レンゲ畑の帰り道』(伴奏は、カラオケに登録されているのでカラオケから)を紹介されました。申すまでもありませんが、その歌声は、さすがにプロの味でした。 午後6時30分から始まった新年会は、予定の2時間を大きく超えて9時30分を回っていました。 この「北薩応援の会」の発足は、歌手前田瑠美さんが2009年(平成21年)6月に1stアルバム「歌集」を発表して本格的な歌手へのスタートをして以来、次の@〜Cのように成長を続けているのを応援するためです。この会のスタートは、平成24年3月28日(水)に発足の検討会が実施されてからです。、 @2009年(平成21年)6月に1stアルバム「歌集」を発表してから本格的な歌手へのスタートをしました。 A2010年(平成22年)に2ndアルバム「霧島連山」を発売、全国各地で精力的なライブを行い、鹿児島アリーナのステージにも出演するなど歌手としての活動が本格化しました。 B2011年(平成23年)に3rdアルバム「旅歌百選」をリリースしました。 C2012年(平成24年)の5月に新たな4枚目のアルバム『情景歌』の全国発売がありしました。 上の@〜Cのように歌手前田瑠美さんは、デビュー以来、毎年、アルバムを発売するなど順調に成長を続けています。 私は、歌が好きだと言うこともあって地元西出水出身の歌手前田瑠美さんの「北薩応援の会」には、発足と同時に入りました。そして、いつも出水での演奏会を楽しみにしています。 新年会の1月31日(木)の開催は、非常に遅いと思いました。しかし、1月の新春のステージが、11回も続いたことを聞くと、それは、「北薩応援の会」のひとりとして、逆に喜びに変わりました。今回の出水での新年会は、30日(水)のJA佐賀産業祭のステージが終わっての帰省で最高の日程だったと思います。 ◆写真:平成25年1月31日(木)午後8時30分 歌手「前田瑠美・北薩応援の会」の新年会で『レンゲ畑の帰り道』を紹介中の前田瑠美さん 出水市:出水市カラオケ「ひばり」 ●事務局 〒899−0214 鹿児島県出水市五万石町263 前田瑠美・北薩応援の会 рO996−62−0037 ●歌手前田瑠美さんのHPは、ここから、アクセスしてご覧ください。 |
私は、2月2日(土)、娘と2人で長島町の浜島水産活魚センターへ行き、「カキ」と「ヒオウキ貝」、「サザエ」を炭火で焼きながら食べて来ました。 この店には、私と娘が住む出水市西出水から自家用車で約1時間、予約の11時に着きました。 店に着くと炭火焼きの用の座席の前で、炭火が勢いよく燃えていました。 その後方には、多くの魚が泳いでいる「生けす」が作られていました。 早速、「カキ」(1s)と「ヒオウキ貝」(2個)と「サザエ」(2個)を注文しました。 注文と同時に作りたての「ブリの刺身」がサービスで配膳されました。その「ブリの刺身」は新鮮で甘くて美味しい味でした。それを味わっている中に、「カキ」などが炭火で焼き上がりました。 軍手を使ってカキの殻などを取り除いてレモンをかけて食べる味は、新鮮で実もしまっていて最高の味でした。美味しかったので「カキ」を更に1sだけ追加しました。二人とも満腹になり、昼食として「おにぎり」を食べるまでもありませんでした。 当日は、隣の席には鹿児島市からのご夫妻、その前の席にはご高齢のご夫妻が来られました。12時過ぎには予約で満席になると話しておられました。この店は社長の濱島保文様のもと、家族の皆さんが対応されていました。皆さんは明るい態度で心から歓迎してくださいました、 社長の息子さんに当たる濱島勇人様は、テキパキと「ブリの刺身」をすぐ作られて配膳されていました。そして、勇人様は、「新鮮な魚を販売するために『生けす』を設置してから10年になります。そして、この炭火焼きを始めてから3年になります。多くの方々がお越しになり大変嬉しく思っています。」と明るく話してくださいました。 私は、退職してからいろいろな店を尋ねての「食べ歩き」に興味と関心が出てきました。今回の長島町浜島水産活魚センターの「旬の味炭火焼きカキ」もその一つです。今回は、新鮮な「カキ」や「ヒオウキ貝」、「サザエ」を美味しくいただきましたが、「アワビ」や「アジ」などもあるということでした。次回は、「アワビ」や「アジ」、そして、「生けす」に泳いでいるいろいろ「魚」を炭火で焼きながら食べてみたいと思っています。 ●この店は、1月16日(水)、MBCテレビの「どーんと鹿児島」の「かごしま港町グルメ〜西海岸を行く〜」で紹介されました。 ◆写真:平成25年2月2日(土)午前11時15分 「浜島水産活魚センター」での「カキ」と「ヒオウキ貝」、「サザエ」の炭火焼き 長島町:諸浦薄井港「浜島水産活魚センター」 899−1403 鹿児島県出水郡長島町諸浦1233ー3 TEL&XFA0996−86−2811 夜間(6時以降)0996−86−0560 |
私は、2月7日(木)午前、東京都渋谷区にある「明治神宮」へ参拝しました。 「明治神宮」には、明治天皇と昭憲皇太后が祭神されています。 この神宮の造営は大正4年(1915年)から開始され、全国からの国民の自発的な労力奉仕によって完成し、鎮座祭は、大正9年(1920年)11月1日に行われました。 「明治神宮」は、初詣で大晦日から正月三が日の間で300万人前後にものぼる日本一の参拝者を集めることでも知られています。 私にとりまして「明治神宮」は、私が婚約をして妻と2人で最初にお参りをした場所です。昭和43年(1968年)1月でした。当時、妻は東京で、私は大阪で勤めていましたので、ここになりました。今、妻は他界してしまいましたが、あの時は、2人とも、将来の生活設計など多くの「夢」についてお願いをしたと思います。 あれから45年・・・・・、想い出の「明治神宮」に再びお参りができて良かったです。このことを帰ったら直ぐ墓前に報告したいと思います。 この「明治神宮」一帯は、「神宮の杜」に囲まれています。面積約70万平方メートルの境内の木々の深い杜に囲まれた「神宮の杜」を、私は、JR原宿駅で降りて鳥居をくぐってから拝殿へと進み、そして、「代々木口」で出るまで体感しました。 当日の2月7日(木)は、前日に大雪に見舞われた東京でしたが、快晴で春の陽気を感じされる気温の高い天候でした。私は、この陽気の中で想い出の「明治神宮」に45年振りに再びお参りができて、感激の連続でした。 ●参考文献:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「明治神宮」 ◆写真:平成25年2月7日(木)午前10時52分 東京都:渋谷区にある「明治神宮」の拝殿 |
東京の多摩地方に位置する小金井市では、今朝(13日)起きてカーテンを開けると、ご覧のような銀世界となっていました。 先日の6日(水)の雪の場合は、各報道機関が「大雪」と予報していましたが、今回は、そほど大きくは取り上げられずに「雪」とだけの天気予報でした。 私は、今朝の雪景色をさほど期待をしていませんでした。朝起きて、銀世界に驚き、東京での2回目の雪を散策するため、孫たちが学校・幼稚園へ行った後、出歩きました。前回に比べて今朝の雪は、その量も少なく、気温も高いので溶けるのは早いと思われます。 娘宅の近くを出歩きながら、スナップ写真を撮りました。それが上の写真です。後方の建物が法政大学小金井キャンパス、その手前が柿畑です。柿畑の真っ白い雪と空の透き通った青の景色に美しさを感じました。 ◆写真:平成25年2月13日(水)午前8時50分 東京都:小金井市梶野町の法政大学小金井キャンパスと手前の柿畑の雪景色 |
私は、2月7日(木)、東京都新宿区の神宮球場(明治神宮野球場)周辺を散策しました。 「神宮球場」は、早慶戦をはじめとする東京六大学野球など学生野球のメッカとして、ヤクルトスワローズのフランチャイズとして、著名な球場です。 私は、野球が好きですので、ここ「神宮球場」も訪れてみたいと思っていました。 今まで機会がなくて、初めてここに立っています。この時期はシーズンオフで試合は行われていません。球場内に足を踏み入れることもできませんでした。 当日、私は、球場の外側をセンター付近からライト側・一塁側を通り正面玄関まで歩いて見学しました。 その間、数多くの入り口は、完全に閉ざされていました。私は、声援の音はなくても球場で熱戦かが行われている雰囲気を感じながら歩きました。 私は、伝統の『早慶戦』などをスタンドから観戦してみたい気持ちになりました。 今からおよそ50年前、私が立命館大学の学生時代、京都の西京極球場で同志社大学と対戦する『同立戦』を思い出します。私は、時には、大学放送局のアナウンサーとして実況放送を担当したこともありました。伝統の一戦として、試合前日には野外施設の「京都市円山公園音楽堂」で前夜祭もあるなど大変な賑わいでした。 また、私の好きなソフトバンクホークスがヤクルトスワローズとの対戦も観戦したい気持ちになりました。気持ちよい夜風を受けながら、ビールを飲みながら観戦するのも格別だと思ったからです。福岡のヤフードームの球場とは大きく異なる雰囲気がありそうです。 この「神宮球場」は、大正14年(1925年)12月敷地造成工事に着手、翌15年(1926年)1月に起工式を行い10月22日に竣功したと言われています。昭和20年(1945)年5月25日、空襲により球場は大火災を受けています。 ◆写真:平成25年2月7日(木)午後1時20分 東京都:新宿区にある「神宮球場(明治神宮野球場)」の正面玄関から。写真の右の人物はヤクルトスワローズの小川淳司監督です。 |
私は、2月7日(木)、初めて国立競技場を見ることができました。 大きな競技場ですが、最初に注目した場所が、写真の場所です。 この写真の場所は、国立競技場正門側の国旗掲揚等部分です。 旗の下側には、オリンピックマークと"Tokyo 1964" を合わせたエンブレムが残っていました。エンブレムの近くに第18回オリンピック競技大会の優勝者の名前が競技ごとに彫られていました。 東京オリンピックの会場であったことを偲ばせていました。 私と東京オリンピック。私は、大阪府立A高校に勤務して3年目でした。1964年(昭和39年)10月10日、第18回東京オリンピックの入場式は、ここ国立競技場で行われました。テレビ放送は、カラーテレビとなり、全国民の注目の中で開催されました。この時の日本の金メダルは16個でした。(それは、体操の団体総合と個人で5個、レスリングで5個、柔道で3個、ボクシングで1個、ウエイトリフティングで1個、バレーボール・女子でした。) ここ国立競技場は、東京オリンピックの競技会場として使用されました。その前の1958年(昭和33年)、「第3回アジア競技大会」を東京で開催、そのメイン会場として、現在の国立競技場が建設されました。着工は1957年(昭和32年)1月、完成は1958年(昭和33年)3月でした。 そして、東京オリンピックを2年後に控えた1962年(昭和37年)3月、競技場の拡張などの工事が開始されました。 国立競技場は、“Tokyo 1964”以来、各種競技の全国大会の決勝などに使用されることが多く、競技者からみれば、ここで競技することは憧れの的であると思われます。そのため、国立競技場は「聖地」とも呼ばれています。例えば、高校サッカーでは「国立の芝を目指して」という言葉をよく耳にします。 今、“Tokyo 1964”から、“Tokyo 2020”という運動が展開されています。 国立競技場の代々木門の近くに「1964年 東京オリンピックの感動を再び ここ国立競技場で」と大きな横断幕が掲げられていました。2020年オリンピック東京開催の招致運動が展開されています。 そして、今の国立競技場は解体して、「新国立競技場」を2015(平成27年) 年10月から建設を開始、2019年(平成31年)3月までに完成する予定となっています。 今、国立競技場は、新しい歴史が始まろうとしています。 ●参考文献:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「国立競技場」 ◆写真:平成25年2月7日(木)午後0時30分 東京都:新宿区にある「国立競技場」の正門側の国旗掲揚等部分の下側には、オリンピックマークと"Tokyo 1964" |
私は、2月7日(木)午後、明治神宮「外苑前」交差点に立ちました。 この「外苑前」交差点は、「スタジアム通り」と「青山通り」の接点になります。 「スタジアム通り」は、国立競技場、神宮球場(明治神宮野球場)、秩父宮ラグビー場などを結んでいます。 「青山通り」は、国道246号に当たる幹線道路で交通量の非常に多い道路です。 そして、交差点の近くに地下鉄の「外苑前駅」があり、人の動きも激しいポイントでした。 私は、この地点にしばらく滞在していました。その間、車の動き、人の動きに東京の著名な交差点の一面を知ることができました。 当日は、前日の大雪とは違って陽気な一日でした。外出には最適の天気でしたので予定通り、明治神宮への45年振りの参拝などを目的に出掛けました。最初に明治神宮へ行き参拝しました。そして、歩いて、東京体育館、国立競技場、神宮球場(明治神宮野球場)、秩父宮ラグビー場などを見学して「外苑前」へ出てきたのです。 その後、地下鉄の「外苑前駅」から「渋谷」へと行き、NHKの建物を見学しました。そして「新宿」経由で娘宅のある「東小金井」へ急ぎました。 私は、2月7日(木)、快晴の中、意欲的に歩きました。そして、初めての場所を見学できて「百聞は一見に如かず」の気持ちで充実した一日となりました。 ◆写真:平成25年2月7日(木)午後1時50分 東京都:交通量の多い明治神宮「外苑前」交差点 |
出水地方は、写真でご覧のように〜菜の花〜が満開です。 この写真は昨日(21日)午後1時前、出水養護学校の近くの水田から前方の白い建物のクレインパ−ク方面に向かって写したものです。 出水地方は、春の訪れが感じるられるようになってきました。 昨日(21日)の出水地方の気温は、正午が9℃、午後3時が10℃で昨日の最高気温でした。 一方、青森市の酸ヶ湯温泉では、昨日(21日)午後1時10分、国内最高の515cmの積雪があったと報道されました。この積雪は、現在の気象庁の観測地点の中で国内最高だと発表されました。 私は、東京の小金井市の娘宅に2月3日(日)に行き、2月18日(月)に帰ってきました。その間、2回、銀世界に見舞われました。その時の模様は、このコラム欄に東京から掲載いたしました。 このような日本の気候状況は、南北に長い地形で形成されている国土の特徴を物語っています。私は、日本各地の「春夏秋冬」の季節を表す特徴に接して、それぞれを味わうことができればと思っています。 ◆写真:平成25年2月21日(木)午後0時55分 出水市:出水養護学校近くの水田(前方の白い建物はクレインパ−ク) |
出水市では、3月下旬になると舌状で長くて大きい花びらをした『モクレン(木蓮)』の花が咲きます。 その美しい『モクレン』は、今、写真のように、寒さに耐えて、つぼみで春を待っています。 写真は、出水市の向江町(平良馬場)の民家の一角です。 『モクレン』には、ハクモクレンやシモクレン、サラサモクレンなどの種類があるようです。 ハクモクレン(白木蓮)は、モクレンの仲間で白色の花をつけます。モクレン属の中では大型の種類で樹高は10〜15m程度まで成長します。 春、葉に先立って大形で白色の花が開かせます。 シモクレン(紫木蓮)は、花は濃い紅色から桃色で、花弁は6枚、上品な強い芳香を放ち、花びらは舌状で長く、実は赤いのです。 この美しい『モクレン』は、平良馬場自治公民館が平成13年頃、集落の花にされて、各家庭にハクモクレンとシモクレンを植樹されたそうです。平良馬場自治公民館に属するご家庭を中心に、出水市では3月下旬になるとハクモクレンとシモクレンが咲き、辺りを美しくしく照らすことでしょう。 ◆写真:平成25年2月25日(月)午後1時35分 出水市:向江町(平良馬場)の民家の『モクレン(木蓮)』 |
タイトルをご覧になって、「・・・・・ もう師走」、驚かれたことでしょう。 今日は、2月末日、明日から3月です。歳月の経つのの早さを感じます。 その意味で「今日します 明日しますと もう師走」が身にしみて分かります。 この句は、第一生命が発表された「私が選ぶサラ川(せん)ベスト10」の3月19日(火)までの投票の資料として示された傑作100選の中の1句です。 投票の結果は、5月下旬に発表されるそうです。、 第一生命では、「私が選ぶサラ川(せん)ベスト10」の投票を前に、全国から寄せられた30,490句の中から選ばれた傑作100選を発表されています。 その中から、特に、私の印象に残った5句を取り上げてみました。 @合理化の 資料作りで また徹夜 A同窓会 名前出ないが 盛り上がる Bスカイツリー 人多すぎて 新迷所 C人生に カーナビあれば 楽なのに D今日します 明日しますと もう師走 私は、傑作100句を読みながら、よく表現されていて、面白いと感じました。私が、特に選んで掲載した5句は、次のようなことから選びました。 @合理化と言いながら、また徹夜とは矛盾を感じますね。A私にも同窓会ごとに何回も経験があったからです。B昨年11月、孫と一緒にスカイツリーへ行き、展望よりは孫の動きに必死でした。C人生にカーナビとは楽でしようね。D光陰矢のごとし。などと自分の経験などがあったからです。 ◆写真:平成25年2月28日(木)午後0時40分 出水市:JR出水駅東口(出水駅の駅舎と梅、塀、青空など) |
出水中央高等学校の第44回卒業式・第32回修了式(看護学科専門課程)は、3月1日(金)、午前10時からおよそ2時間、同校体育館で行われました。 私は、来賓として参列しました。いろいろ感動場面はありましたが、特に、答辞と吹奏楽部の演奏に感動しました。 答辞は、卒業生代表と修了生代表の2つがありました。修了生代表の答辞は、看護学科専門課程を修了するまでの5年間の想い出が凝縮されていました。その一部を取り上げてみます。 吹奏楽部の演奏は、式典の展開にマッチした曲目を1・2年生58名が力強く繊細に演奏していました。演奏曲目は『 』でご紹介します。 開始10分前の9時50分に、私たち来賓は、吹奏楽部の演奏する『威風堂々』の曲に乗り、保護者と先生方の拍手に迎えられて入場しました。 来賓の着席が終わると卒業生・修了生の入場となりました。 司会者の「卒業生・修了生入場」のアナウンスの直ぐ後に『ファンファ−レ集No1』が力強く演奏され、会場の雰囲気が一瞬にして、式場の雰囲気へと変わりました。 そして、『未来へ』の曲に変わると、学級担任を先頭に卒業生・修了生が体育館後方から体育館の中央を通って堂々と入場してきました。大きな拍手に迎えられて!。 式は、予定の午前10時に始まりました。一同礼、開式のことば、国歌斉唱『君が代』、卒業証書並びに修了証書授与、学校長式辞、祝辞(鹿児島県知事・PTA会長・祝電披露)、在校生送辞の後、卒業生並びに修了生答辞と続きました。 答辞は、卒業生代表が兒島玄聖君(普通科特進課程卒業)、修了生代表が堤千帆さん(看護学科専門課程修了)でした。 修了生代表の堤千帆さんの答辞は、「文化祭や体育祭では仲間と一致団結して取り組み、5年目の体育祭では大縄跳びで40回を跳び、皆で抱き合い涙したことは忘れられません。看護のプロとなるための臨地実習では多くの壁にぶつかりました。その時、指導してくださったスタッフ方々、先生方、そして、未熟な私たちに身を持って学ばせてくださった患者様、多くの方々の支えがあり、ここまで成長する事ができました。感謝の気持ちで一杯です。」と5年間の想い出と看護師の道への感謝の気持ちが込められていました。 二人の答辞には、共通の部分がありました。学校生活のこと、体育祭・文化祭のこと、先生方・仲間・後輩たちへのお礼の気持ち、家族の皆さんへの感謝の気持ち、寮監・寮母さんへのお礼の気持ちなど、言葉を詰まらせながら心を込めて述べていました。 その内容は、私を含めて式場の皆さんも感動されて、目頭を押さえておられる方を多く見受けました。 式は、その後、記念品贈呈、卒業生・修了生保護者代表謝辞、卒業式の歌『仰げば尊し』、校歌斉唱『校歌』、閉式のことば、一同礼で終了しました。 厳粛で整然とした式が終了して、卒業生・修了生は、吹奏楽部の演奏する『贈る言葉』に乗り、旅立って行きました。私は、卒業生282名・修了生85名の皆さんのさらなる飛躍を心から期待して大きな拍手を贈りました。 吹奏楽部の演奏は、卒業生・修了生が式場から旅立って行った後、来賓退場では入場と同じ『威風堂々』、保護者退場では『ビリーブ』が演奏されました。最後の最後まで式典にマッチした演奏が奏でられました。 ◆写真:平成25年3月1日(金)午前11時30分 出水中央高等学校卒業式、修了式(看護学科専門課程)で答辞を述べる堤千帆さん ステージの2名はマルチメディア部のインターネットのカメラ担当者、その前が答辞を述べる堤千帆さん。堤さんの右の白いスクリーンはインターネット配信と同じ画面の紹介 出水市:出水中央高等学校体育館 ●当日の模様は、『YOU TUBE』(出水中央高等学校)に掲載されています。 |
右の「出水兵児修養掟」記念碑は、出水陸上競技場のマラソンゲート近くに建立されています。 この記念碑は、初代関東ふるさと出水会会長田中仁之助氏の寄贈によって、平成6年4月、建立されたものです。 記念碑には、原文が書かれています。次の原文の( )内の送りがなは、右の記念碑には記入されていません。 多くの方々にご理解いただくために、下の原文には送りがなを記入した原文を掲載しました。下の原文は、出水市のHPから転載しました。 ■原文 出水兵児修養掟 (出水市のHPから) 士(し)ハ節義(せつぎ)を嗜(たしな)み申すべく候(そうろう)。 節義の嗜(たしな)みと申すものは口に偽(いつわ)りを言ハず身に私(わたくし)を構(かま)へず、心直(こころすなお)にして作法(さほう)乱れず、礼儀正しくして上(かみ)に諂(へつ)らハず下(しも)を侮(あな)どらず人の患難(かんなん)を見捨てず、己(おの)が約諾(やくだく)を違(たが)へず、甲斐(かい)かいしく頼母(たのも)しく、苟且(かりそめ)にも下様(しもざま)の賎(いや)しき物語り悪口など話の端(はし)にも出さず、譬(たとえ)恥(はじ)を知りて首(くび)刎(は)ねらるゝとも、己(おのれ)が為(な)すまじき事をせず、死すべき場を一足(ひとあし)も引かず、其心(そのこころ)鐵石(てっせき)の如(ごと)く、又温和慈愛(おんわじあい)にして、物の哀(あわ)れを知り人に情(なさけ)あるを以(もつ)て節義の嗜(たしな)みと申すもの也(なり)。 ■口語訳 いずみへこ しゅうよう おきて (出水市のHPから) 人は正しいことをしないといけない。 正しいこととは、うそを言わないこと、自分よがりの考えをもたないこと、素直で礼儀正しく、目上の人にぺこぺこしたり目下の人を馬鹿にしたりしないこと、困っている人は助け、約束は必ず守り、何事にもいっしょうけんめいやること、人を困らせるような話や悪口などを言ってはいけないし、自分が悪ければ首がはねられるようなことがあってもべんかいしたりおそれたりしてはいけない、そのような強い心を持つことと、小さなことでこせこせしない広い心で、相手の心の痛みが分かるやさしい心を持っているのが、立派な人と言えるのです。 ■「出水兵児修養掟について」 (記念碑の近くにある説明文から) これは江戸時代の頃、出水市では六才から二十歳位の青少年を「出水兵児」と呼んだ。「出水兵児修養掟」は、出水兵児たちを健全に育てるために作られた教えで、兵児たちは、それを座右の銘として実行に努めた。 作られた時代の背景は、今日と異なるが時代を超えて人々の生活の中に生きている優れた教えである。 私は、この「出水兵児修養掟」をよく聞きますし、よく目にします。内容を一つ一つ味わってみると青少年だけではなく、私自身の生活にも大事なことが述べられています。 私は、原文の「士(し)ハ節義(せつぎ)を嗜(たしな)み申すべく候(そうろう)。・・・・・」を全て暗記して、自分自身の座右の銘として実行していきたいと思っています。 ●参考文献:出水市のHP ◆写真:平成25年3月4日(月)午後5時30分 「出水兵児修養掟」の記念碑 寄贈者:初代関東ふるさと出水会会長田中仁之助氏(上村西出身)(平成6年4月建立) 出水市:出水陸上競技場のマラソンゲート近くに建立 なお、JR出水駅東口のタクシー乗り場近くにも、「出水兵児」の記念碑が建立され、修養掟の原文が記入されています。 建立者は、「鹿児島県立出水高等学校 紫岳同窓会昭和47年卒一同」です。 |
私は、娘と二人で3月1日(金)の夜、新鮮な『海鮮丼』を食べに、長島の「いけすの山和(やまかず)」へ行きました。 「いけすの山和」は、長島側の黒之瀬戸大橋ゲート前、「だんだん市場」のすぐ前にあります。 店名は、店長の山下和美様のお名前から命名されています。 『海鮮丼』を注文しますと、奥様が、「しばらく時間がかかりますので、これをご覧になりませんか」と渡されたのが『ご意見帳』でした。 2冊の『ご意見帳』には、今年に入ってからのお客様の感想が綴られていました。その中によく記載されていたのが、『えびフライ』と『うに丼』でした。娘はその多さに興味を抱き、それぞれ単品で追加しました。 北海道から今年の1月3日(金)に来られた方もいました。「わたしの中では一番おいしいごはん屋でした。『海鮮味噌汁定食』・『海鮮丼』・『山和定食』を食べました。最高に美味しいでした。北海道から来た甲斐がありました。北の幸も素晴らしいですが、南の幸もまた違った魚が美味しかったです」と、記載されていました。 2冊の『ご意見帳』を読んでいる途中で、写真のような『海鮮丼』が配膳されました。『海鮮丼』の具は、地元で獲れた新鮮なタイ、カンパチ、太刀魚、エビ、サザエ、ヒオウギ貝など、計10種類程度の魚介類が並んでいました。 店長の息子さんで調理人の健作様は、「『海鮮丼』は、時季のものを魚介類を使用しますが、ただ並べるのではなく、生のものと湯引きタイを使うなど、工夫を凝らしています。色合いを出すため、北海道から仕入れたイクラは使いますが、あとは地元で漁獲されたものを用いますので新鮮だと思います。ご飯は定食屋として、すし屋との違いを出すため、酢飯は使わずに普通のご飯を使っています。『ご意見帳』を参考にしながら努力しています。」と自信作を見ながら説明してくださいました。 優に30センチはあろうかと思われる大エビも、木箱に入ったウニも長島産でした。私は長島の海の豊かさを感じるとともに、その上にあぐらをかかずに美味しさを追求されるお店の方の姿勢に心もお腹もいっぱいになり帰途につきました。 ◆写真:平成25年3月1日(金)午後7時25分 「いけすの山和」の『海鮮丼』 ●「いけすの山和(やまかず)」 場 所:899−1211出水郡長島町山門野4090 (黒之瀬戸大橋ゲート前、「だんだん市場」の前) 定 休 日:毎週木曜日 電 話:0996−87−1215(店)、0996−87−0438(自宅) |
3月10日(日)午後5時ごろ、出水の町には、黄砂か襲来して、ご覧のような薄暗い異様な風景でした。 写真は、出水養護学校付近から水田地帯とクレインパーク方面、その右側の矢筈岳連山を写しました。 いつもならはっきりと鮮明に捉えることができる場所です。 当日は太陽が出て快晴ですが、ご覧のように矢筈岳連山の稜線は霞んでいます。 黄砂は、『Yahoo!百科事典 [ 日本大百科全書(小学館)』によると、「中国大陸奥地のオルドス、ゴビなどの砂漠の砂が強風に舞い上げられ、上空の偏西風に流されて海を渡り、日本にまで飛んでくる現象。沖縄では赤霧(あかぎり)という。黄砂は西日本ほど多い。そして同じ九州でも、長崎県五島地方は年間平均10日間は黄砂をみるが、九州東岸では2日間である。」と述べていますあ。 今年の春は、黄砂の襲来、花粉の発生、PM2 .5の増加など、配慮し、対応しなければならない事が発生してきています。私は、それぞれに関する情報を手に入れて、対応していきたいと思います。 ◆写真:平成25年3月10日(日)午後4時55分 出水市:出水養護学校付近から水田地帯とクレレインパーク、右側の矢筈岳連山を望む |
写真の右をご覧ください。 「ツル」が3羽、エサをつつきながら、楽しそうに遊んでいます。 この写真は、3月10日(日)午後5時ごろ「クレインパーク」の近くで、撮影することできました。私にとりましては、初めての2ショットです。 この一枚は、私の誠に貴重な写真となりました。 その意味で、【第549回】のタイトルをあえて、『「クレインパーク」と「ツル」の2ショット』とさせていただきました。 今、出水の「ツル」は、シベリアへの北帰行の真っ最中です。今季の渡来数は、過去2番目に多い1万3138羽でした。この北帰行は、昨年度に比べて1日早い1月29日(火)にマナヅル18羽が長島町方向へ飛び立ちて行きました。北帰行の数は「クレインパーク」の発表によりますと3月12日現在、4,476羽です。 私は、「ツル」の家族3羽が、シベリアへの北帰行を前にお世話になっている「クレインパーク」にあいさつに来ているように見えてしまいました。 「ツル」の家族は、「エサを準備していただいたり、防護ネットを設置していたたいたり、鳥インフルエンザの予防に努めていただいたりしました。無事に、気持ちよく越冬できて感謝します。」という気持ちが伝わってきました。 「ツル」は、今月中に北帰行をしてしまうと思われます。越冬した1万3138羽の「ツル」が無事にシベリアへ帰り、今年の秋に元気で飛来して来てほしいと願っています。 ◆写真:平成25年3月10日(日)午後5時 出水市:出水養護学校付近の水田から「クレインパーク」と「ツル」の2ショット |
南州西回り自動車道の「薩摩川内水引IC−薩摩川内高江IC」間の3.5キロは、3月10日(日)午後5時から無料開通されました。 私は、3月17日(日)午後5時過ぎ、鹿児島市から出水市へ帰る途中、利用しました。 当日は、自家用車など車の通行量がさほど多いとは思われませんでした。 私は、真新しい道路と左右に時々見られる桜の花を眺めながら、快適にドライブすることができました。 今回の開通で、鹿児島市と熊本県八代市を結ぶ南九州西回り自動車道の総延長約140キロの高規格幹線道路は、約68キロが開通して、使用率が約48%になるそうです。 工事は、現在、鹿児島市側からと熊本県八代市側から、そして、出水地区で進められています。 鹿児島市側からは、「鹿児島−薩摩川内都IC」間(36.0キロ)が開通しています。その北の「薩摩川内都IC−薩摩川内高江IC」間(6.7キロ)は未開通ですが、平成26年度内の開通が予定されています。開通すると、「鹿児島−薩摩川内水引」IC間(46.2キロ)が、直結されることになります。 熊本県八代市側からは、「八代−芦北IC」間(28.8キロ)が開通しています。その南の「芦北IC−津奈木IC」間(7.7キロ)が平成27年度内の開通を目指して工事中です。 このように、南九州西回り自動車道は、北と南から工事が進められています。そして、出水地区でも工事が進められています。その中で薩摩川内市−阿久根市間たげがまだルートも決まっていないようですので、全線開通には未だ時間がかかりそうです。早く、ルートを決定して、早く工事に着手していただきたいと心から願っています。 私は、部分開通ながら、工事が進められ、着々と伸びている南九州西回り自動車道の完成を心から喜んでいます。そして、全線開通をと・・・・・。 ●参考文献:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「南九州西回り自動車道」 ◆写真:平成25年3月17日(日)午後5時35分 薩摩川内市市:薩摩川内水引IC出口まで後1Km地点で左側に |
南九州西回り自動車道(総延長約140キロ)は、出水地区でも工事が大規模に行われています。 私は、先日、出水市野田町の野田川に架かる橋の基礎工事現場を通りかかりました。 その様子が右の写真です。野田町側から高尾野町方向を写つしました。 看板の上部の高尾野町側に架橋の基礎部分と思われるセメントの枠の工事が見られます。 写真の手前の野田町の水田地帯には、盛り土が見られ、自動車道の概要がはっきりしてきています。 ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「南九州西回り自動車道」によりますと、出水地区では、「鶴川内IC−阿久根北IC」間(4.2キロ)が平成26年度開通予定、「阿久根北IC−野田IC」間(4.0キロ)が平成27年度開通予定と記載されています。 今、この区間の工事が進められています。そして、「高尾野IC」・「出水IC」・「出水北IC」へと工事が北へと進められていきます。 間もなく出水地区にも、高速道路時代がやってきます。南九州西回り自動車道が全線開通すると、地元出水の「IC」から八代市では九州自動車道、鹿児島市でも九州自動車道と乗り入れができるようになります。 部分開通ながら少しずつ伸びていく南九州西回り自動車道を自家用車で走れる楽しみを私は、味わっています。全線がつなかると楽しみは、より一層増して、感動へと変わることでしょう。 ◆写真:平成25年3月10日(木)午後5時20分 出水市:野田町の野田川の南九州西回り自動車道の架僑工事現場 |
出水中央高校吹奏楽部の顧問で指揮者の福島玲士先生は、3月末日で健康上の理由で退職されることになりました。 その記念の演奏会が、保護者会・保護者会OB会の主催で3月20日(祝)午前9時30分からおよそ3時間、出水市文化会館で行われました。 演奏は、1部(1・2年生)、2部(1・2・3年生)、3部(1・2・3年生・OB)の構成になっていました。 1部(1・2年生)は、、58名による演奏でした。 現役の1・2年生の演奏でした。最初の演奏曲「エヴァンゲリオン」が始まると同時に緞帳が上がりました。次の「ジュビリー」と「狩猟の歌」の曲は4月に台湾で演奏する曲で練習中ということでしたが、すでに完成していると思われる演奏でした。そして。「ザ・ピース」、「MISS・TROMBONE」、「鼓声若響」と続き、最後は「元禄」でした。すべてに見事な演奏でした。 2部(1・2・3年生)は、80名による演奏でした。 卒業して演奏に空白期間のある3年生が入っての演奏でした。最初に「国民の象徴」、そして、「SING・SING・SING」、「愛燦燦」、「Y・М・C・A」と続き、最後に「セドナ」でした。卒業して新しい旅立ちの準備などで忙しい3年生が入っての演奏でしたが、それを感じさせない素晴らしい演奏でした。 3部(1・2・3年生・OB)は、150名による演奏でした。 OBが70名入り、年齢差と演奏差のある演奏でした。まず、元気のよい「旧友」から始まりました。そして、「涙そうそう」、「世界に一つだけの花」、「さくら(独唱)」、「花」、最後に「七夕」の演奏でした。平成17年福島玲士先生のご着任以来、先生に学んだ演奏力は今でも、脈々と受け継がれ年齢差と演奏差を感じさせないハーモニーを奏でていました。 そして、アンコールでは「シンクロBOM・BA・YE」など3曲演奏されました。 3部の演奏が始まる前に学校法人出水学園の倉田勲学園長から感謝状と記念品が贈られました。 倉田勲学園長は、「福島先生は、平成17年にご着任以来、非常によく頑張っていただきました。その結果、全国大会の常連校として認められるようになりました。先生はベルリン・カーネギー・ウイーンの各ホールで全日本高校選抜吹奏楽団の指揮をされるなど本校にとりまして大きな誇りでありました。これまでの先生のご尽力に対して心から感謝申し上げます。」と謝辞を述べられました。 私は、福島先生のご退職を記念する演奏会をお聴きしました。 2部と3部の演奏では、久しぶりに演奏する人も入っていましたが、福島先生に学んだ力を十分に発揮しての演奏でした。そして、1部で演奏の現役の皆さんは、アンコール曲まで21曲を演奏しました。 福島先生のご指導の素晴らしさは、今では楽器から離れているOBでも立派に演奏できる力を備えていることが分かりました。 およそ3時間におよぶ演奏に、私は、福島先生のご指導の素晴らしさを随所に味わいながら感動と感謝の気持ちで一杯でした。 福島玲士先生 〜ありがとうございました〜 ◆写真:平成25年3月20日(祝)午前11時50分 「出水中央高吹奏楽部、福島玲士先生退職記念演奏会」の3部で指揮の福島玲士先生 出水市:文化会館(定員1,159人 =固定席1,006席+立見147人+車いす席6席分) ●当日の模様は本社の『2013-03-21 福島先生!お別れ演奏会』にも掲載されています。 |
3月20日(祝)の福島玲士先生の退職記念演奏会では、150名の奏者によって演奏される場面がありました。 その場面は、3部(1・2・3年生・OB)による演奏で右の写真のとおりです。 150名の奏者は、出水中央高校吹奏楽部の1・2年生58名、今春の卒業生の内22名、平成17年福島先生ご着任以来、ご指導を受けたOBの内の80名を合わせた人数です。 福島先生は、OBを含めた全員による練習が、十分にはできていないので、演奏が途中で止まるかもしれないと思っておられました。ところが、演奏は気持ち良く展開し、曲が終わる毎に大きな拍手が贈られていました。 福島先生は、全ての演奏が終わると、150名の奏者に向かって、「みなさんの努力で、大変良い演奏ができました。みなさんの頑張りにお礼を述べたい。ありがとう。」と奏者に向かって感謝のことばを贈っておられました。 私は、吹奏楽が好きですのでいろいろな演奏を聴く機会があります。150名による演奏を聴くのは、初めてです。 その演奏は、会場一杯に響きわたり、「圧巻」と「迫力」いうことばで、表現できる内容でした。吹奏楽の醍醐味を心から味うことができました。 ◆写真:平成25年3月20日(祝)午前11時45分 出水中央高校吹奏楽部「福島先生退職記念」の150名の演奏 出水市:文化会館(定員1,159人 =固定席1,006席+立見147人+車いす席6席分) ●当日の模様は本社の『2013-03-21 福島先生!お別れ演奏会』にも掲載されています。 |
第24回を数える「いずみ桜まつり」は、3月30日(土)・31日(日)の2日間、満開の桜の咲く出水市特攻碑公園一帯で行われます。 今回の内容は、 30日(土)・31日(日)の2日間、@一日食堂(うどん、そば、たこやき、からあげ、おにぎり、串焼き、焼き鳥など)、A特産市(みかん、茶、野菜、花、農産、海産加工品など)、B岩ツツジの苗木プレゼント(先着50名様)が予定されています。 31日(日)のみが、@お買い物をされた方には輪投げで豪華賞品をゲットするチャンス、Aフリーマーケット、Bちびっ子大集合(ふうせん・金魚すくい)、Cアトラクションを予定されています。 31日日(日)のみのアトラクションは、歩行者天国となる道路の特設ステージで、午前10時30分から、次の8団体で行われます。 それは、@野田郷島津太鼓、 AダンスチームSEN・4PINKS、 B和太鼓集団 和楽、 Cプア プルメリア大石、 D正調五ツ太鼓宗家小牟田流神薗道場、E出水観光宣隊つるみんジャー、 F高尾野兵六太鼓保存会、G西出水小学校マーチングバンドが予定されています。 例年、大変な賑わいをみせる「いずみ桜まつり」は、さくらが満開の中で先に述べましたように色々な催しが計画されています。今年は、例年以上の賑わいを見せるものと思われます。 私は、「桜まつり」の前日の29日(金)の午後、娘と二人でおよそ300本の桜並木の白いトンネルの中を歩きました。私的なことで恐縮ですが、娘の転勤で私は一緒に出水を離れて鹿児島市へ転居することになりしました。今日29日の午後、写真のように美しい桜のトンネルさに感動しながら歩いた後、長年お世話になった出水に感謝しながら鹿児島市へと向かいました。 ◆写真:平成25年3月29日(金)午後3時51分 出水市:出水市特攻碑公園前の「桜並木の白いトンネル」 |
今日、4月1日は、「年度替わり」で、平成25年度のスタ−トの日になります。 私は、平成25年度のスタ−トのこの記念の日を20年振り帰って来た我が家で迎えています。 平成6年4月、大島郡(現奄美市)笠利町の大島北高校へ勤務するため鹿児島市の自宅を出ました。 その後、野田女子高校、出水中央高校に勤務するなどして、3月29日に出水市から帰ってきました。 平成20年に妻を亡くしてから、私は、出水市内の学校に勤務する娘と二人で生活していました。その娘がこの春の人事異動で鹿児島市内の学校に勤務することになりましたので、一緒に引っ越してきました。 私は、48年間の勤務で大阪での3高校を含めて9高校等に勤めてきました。 昭和37年度に高校教師としてスタートして最初の勤務地は大阪府池田市でした。その後、東大阪市、堺市と続きました。 大阪府池田市では、五月丘の丘陵地帯の大規模な団地の近くの民家に間借りをして、新採3名と一緒に生活しました。家主の家族の方々には大変親切にしていただきました。授業では、「鹿児島弁」が飛び出したことがありました。すかさず、英単語を述べて説明したこともありました。 昭和50年度からは鹿児島県の高校に勤務することになりました。その時の勤務地の加治木町には1年間の米国留学を含めて8年間お世話になりました。その後、鹿児島市で生活をしました。その時、自宅を購入しました。そして、笠利町、野田町、出水市と続いたのです。 最後の出水市には、合併前の野田町の3年間を含めると16年間もお世話になりました。高校時代も出水で生活しましたので19年間もの長きにわたりお世話になったことになります。地元ですので、生徒のご両親を知っていることも多くありました。 私は、新しい土地に引っ越しをした時は、その土地を積極的に理解すること、地域の方々と積極的にあいさつを交わすことなどに心がけました。新しい勤務校等にも早く慣れること、授業等では生徒の心に届く展開となること、職員の皆さんとは和を大切にすることなどに心がけました。 4月1日の「年度替わり」の日を迎えると各地でお世話になったことたこと、多くの生徒の皆さんとの出会いがあっがこと、職員のみなさんといろいろ努力したことなどを想い出しています。その気持ちで、いつも新年度を迎えています。 ◆写真:平成25年4月1日(月)午後2時 鹿児島市:明和の自宅のベランダから桜島を望む |
久しぶりに鹿児島中央駅付近をぶらついてみました。 駅前から桜島方面へ行き南日本放送局付近までのナポリ通りの中央分離帯では、写真のように真っ赤なヒノデキリシマツツジ咲き、美しい彩りをはなっていました。 私は、鹿児島市へ引っ越して、市役所へ転居届けや運転免許証・銀行などの住所変更届け、そして、荷物の整理に追われています。 今日の午後、時間を見付けて、出掛けてみました。鹿児島市の桜は、すでに葉桜となっていますが、真っ赤なヒノデキリシマツツジやパンジー、その他の花が目に入ってきました。 その花の美しさに吸い込まれて、鹿児島中央駅から南日本放送局付近まで歩いてしまいました。そして、自家用車でパース道りを走ると中央分離帯にはナポリ通りと同じようにヒノデキリシマツツジが赤じゅうたんを思わせるように咲いていました。 私は、慌ただしく引っ越してきましたので、春を満喫する余裕はありませんでした。鹿児島市の桜はすでに葉桜となっていますが、真っ赤なヒノデキリシマツツジやパンジー、その他の花が、私を心から歓迎しているようで、大変嬉しく感じています。 ◆写真:平成25年4月4日(木)午後3時40分 鹿児島市:ナポリ通りの中央分離帯の真っ赤なヒノデキリシマツツジ |
私は、歌が好きで「NHKのど自慢」をほぼ毎回見ています。
今日(7日)の「NHKのど自慢」は、司会者が小田切千アナウンサーの初登板で山形県長井市からの放送でした。 ゲストに細川たけし・長山洋子のベテラン歌手でした。20組の出演者の歌を楽しく聴きました。 「NHKのど自慢」は、歌を愛する方々の出演でそれぞれに思い入れがあるようです。その上、非常に上手な方、伴奏とは少し外れても楽しく歌っておられる方など様々な歌が楽しみです。 そして、会場の応援団へもカメラが向けられ、ステージと会場とが一体となって展開されているのにも楽しみがあります。 最後に登場のゲストの歌にも魅力があります。今日の細川たけしは『屋久島』でした。歌詞の中に「・・・・根付く 縄文杉 のように・・・」が含まれています。 私の好きな歌は、いろいろありますが、特に好きなのは、自分が勤務した場所になじみのある曲です。大阪時代を思い出して『大阪しぐれ』、奄美大島時代に良く歌った『島のブルース』、出水時代は水森かおりの歌で「・・・出水の鶴の里・・・」が歌詞に入っている『ひとり薩摩路』を愛唱するようになりました。 今日の鹿児島市は、雨模様で肌寒い天気です。昼の「NHKのど自慢」は、コタツに入って楽しく見ました。 20組の出演者の歌への想い、ゲストの細川たけし・長山洋子の出演者との楽しい対話と歌、新登場の小田切千アナウンサーの巧みで楽しい司会で楽しい時間を味わうことができました。 ◆写真:平成25年2月7日(木)午後2時40分 東京都:渋谷区のNHK放送センター |
出水中央高等学校入学式は、4月9日(火)、午前10時から体育館で行われ、私は、来賓として参列しました。 会場では、式典開始30分前からおよそ10分間、吹奏楽部が、『世界に一つだけの花』と『花』を演奏していました。 午前9時50分、私たち来賓は、吹奏楽部の演奏する『威風堂々』の曲に乗り、大きな拍手に迎えられて入場、来賓席に着席、新入生の入場を待ちました。 来賓の着席が終わると、司会者が「新入生入場」のアナウンスと紹介され、直後に奏楽部がファンファ−レで『ファンファ−レ集No1』が力強く演奏しました。式場の雰囲気は、一瞬にして「新入生入場」の入場を待つ格調高い雰囲気になました。 新入生の皆さんは、『ハピネス』の曲に乗り学級担任を先頭に、体育館後方から体育館の中央を通って大きな拍手に迎えられて入場してきました。新入生は、新しい制服を着用して、ピカピカの1年生として明るく希望に燃えて入場してきました。 式は丁度10時に始まりました。一同礼、開式のことば、国歌斉唱の後、寶亀道隆校長先生は、学級担任の呼名によって起立紹介された、本科生262名と看護学科専門課程生94名の合計356名の入学を許可されました。 学校長式辞で寶亀道隆校長は「@知性、A学ぶ」を新入生への餞のことばとして贈られました。笹山欣悟PTA会長は、「心から歓迎します。安心して本校で学んでください。」などと祝辞を述べられました。そして、祝電祝詞披露がありました。 新入生代表宣誓は、医療福祉科の椎木和哉君(江内中学校出身)が次のように述べました。「・・・高校時代は、自ら進むべきしっかり定め、その目標に向かい、まっすぐに努力しなければならない非常に大切な時だと想います。先生方のご指導を頂きながら学業に励み、専門の実習や学校行事。部活動などどのようなことにも全力で取り組んでいきたいと思います。一度しかない高校生活を決して後悔することのないように努め、有意義なものにしていくことをここに誓います。」と。 そして、職員紹介、校歌斉唱と続き、閉式のことば、一同礼で式典は終了しました。 式が終了すると、新入生は吹奏楽部の演奏する『全力少年』に乗り学級担任を先頭に、これから学ぶ自分の教室へ体育館の中央を通り力強い足取りで歩んで行きました。 来賓退場は入場と同じ『威風堂々』で、保護者退場は『ビリーブ』で、式場を後にされました。 私は、出水中央高等学校の入学式に参列して、次のようなことを感じました。 @式典がスムーズに展開していること。A式場が厳粛で新入生の行動も整然としており明るい雰囲気であること。B吹奏楽部の演奏が式典の雰囲気を一層盛り上げていることなど、入学式として随所に配慮されており、非常に格調高い式典でした。 ◆写真:平成25年4月9日(火)午前10時36分 出水中央高等学校、本科第47回入学式、看護学科専門課程第34回入学式 式辞を述べられる寶亀道隆校長、前方右のスクリーンは、インターネットによるライブ中継と同じ画面 出水市:出水中央高等学校体育館 |
私は、入学式シーズンになると、特に、小学校の時の入学式のことを想い出します。 それは、校長先生が「まさか、学校嫌いの人はいないでしょうね」との問いに、私は手を挙げました。私の挙手に同じ学校に勤務していた父は、真っ赤な顔をして私を見ていたようです。このことを母は、私が教師になってから話してくれました。 私の小学校の入学は、昭和21年4月、東長島村立鷹巣国民学校(現:長島町立鷹巣小学校)です。 小学校の入学式で、「学校嫌い」と意思表示した私は、その後、通学するうちに学校が好きになってきました。 それは、友達が多くできて仲良く楽しく生活できたこと、先生方が親切で授業が楽しかったことなどいろいろなことが挙げられます。その後、学校は楽しくなり、小・中・高校の12年間は皆勤、大学でも講義をさぼることはありませんでした。 私は小・中・高・大学の各学校の入学式では、不安な気持ち、新しい学校への期待感など複雑な気持ちでした。小学校の入学は、当時、保育圓・幼稚園がなく直接の入学でしたので、非常に不安があったのでしょう。高校へは同じ中学校から5名、大学へは同じ高校から1人でしたので、不安が一杯ありました。私は、それまでの経験から回りの人に自分から先に話しかけることを心がけて、話し相手を直ぐにつくり、不安を共有しながら前へ進んで楽しく過ごしてきました。 私は、自分が入学した鷹巣小学校を昨日(12日)、道路からのぞいてきました。当時の場所(当時の校舎は今の役場の場所)から少し移転していますが、写真のように道路沿いの美しい花、創立140周年も掲示されていました。外からですが、母校がますます発展していることを感じ取ることができました。 今となれば、小学校の入学式で「学校嫌い」と意思表示した私が、教師に憧れ、48年間も学校等に勤めてきました。入学式シーズンになると、自分の入学式のことをいろいろと想い出しています。 ◆写真:平成25年4月12日(金)午後3時10分 長島町:町立鷹巣小学校 |
私は、「携帯ラジオ」が好きで、家ではポケットに入れて、放送を聴きなら生活していることが多いです。 右の写真が、私の愛用している「携帯ラジオ」です。本体は、幅:41×高さ:79.5×奥行き:20mmの小型です。 「携帯ラジオ」が好きなのは、動きながら聴くことができるからです。 台所の時でも、洗濯物を干す時でも、花壇の手入れの時でも、そして、荷物整理の時などでも・・・。、 私の好きな音楽の時には一緒に口ずさみながら、お天気情報の時には洗濯物を気にしながら、お花見情報の時にはメモをしながら、楽しいトークには微笑みながら、スポーツ放送の時には好きなチーム(個人)を応援しながらという具合にです。 14日(日)の日曜日は、NHK第一の番組を聴きました。午前9時からの「日曜討論」、午前10時20分からの「歌の日曜散歩」、午後1時5分からの「日曜バラエティー」、そして、午後4時5分からの「とっておき 歌の散歩道」など、夕方まで聴きました。私の大好きな午後0時15分からの「NHKのど自慢」は、テレビで視聴しました。 14日(日)は、終日、3月末に引っ越してきた時の荷物の整理をしました。私のポケットに潜ばせた「携帯ラジオ」からは、前に述べましたように、私の好きな音楽番組が非常に多く放送れました。私は、ルンルン気分で荷物の整理に頑張りました。 「携帯ラジオ」は、昨年5月、プロ野球をヤフオクドームに見学へ行った時にも実況放送が流れてきました。イヤホーンで聴きながら野球を観戦しました。野球の醍醐味をより一層知り、楽しむことができました。 この小さな「携帯ラジオ」は、私のポケットに入れて仲良くしています。 14日(日)はNHK第一の番組を中心に紹介しましたが、MBCの「城山スズメ」などの番組もよく聴いています。NHKFM・FM鹿児島の番組も好きです。そして、NHK第二を聴くこともあります。 この小さな「携帯ラジオ」が、私の家庭内の日常生活に大きな役割を果たしています。そして,その魅力をいつも感じています。 ◆写真:平成25年4月16日(火)午前10時30分 鹿児島市:明和の自宅にて、愛用の「携帯ラジオ」 |
「しいたけ」の芽と「竹の子」の頭出しの風情を見て、私は、時期的に不思議だなと思いました。それが右の写真です。 「しいたけ」の収穫は、本格的には9月ごろから始まり、4月のこの時期が最後になるそうです。 この2ショットは、4月18日(火)午後、出水市野田町餅井の野村正昭様所有の竹林の中で見付けました。 ここの「しいたけ」園は、竹林を整備して、3年前に始められたそうです。きれいに整備された竹林の中には、およそ1m程度の原木クヌギが整然と並べられていました。倉庫には、乾燥機も設置されていました。製品はスーパーなどにも出荷されるなど本格的な「しいたけ」経営者に成長されています。 経営者の野村様は、「竹林の中の『しいたけ』栽培ですので、太陽の光が全体的にバランスよく降り注ぎ、その恩恵で肉厚の美味しい『しいたけ』に出来上がっています。栽培の歴史は若いですが、多くの皆様に喜んでいただいています。今後、いろいろと研究してより一層の品質の向上に努めます。」とにこやかに話してくださいました。 私は、人里近くの竹林の中で、整備された環境で栽培されている「しいたけ」と「竹の子」、その新鮮な食材を見て、日本古来の「にしめ」料理を連想しながら、「いただきます」〜「ごちそうさま」という心境になりました。、 ◆写真:平成25年4月18日(木)午後2時30分 野村正昭様宅:出水市野田町下名3484−14 0996−84−3015 出水市:野田町餅井の竹林の中の「しいたけ」と「竹の子」 |
私は、鹿児島市に住む妹夫婦と甥を、21日(日)自宅に迎えて、昼食会を行いました。 その時、妹からご覧のような「にしめ」の差し入れがありました。 私は、「にしめ」を頂きながら、久しぶりにおふくろの味〜「にしめ」を味わうことができました。 おふくろは他界して、8年になります。妹の「にしめ」を頂きながら、おふくろを想い出し、そして、おふくろの料理の味を想いながら美味しくいただきました。 還暦を迎えた妹は、小さい頃から台所で料理作りをよく手伝っていました。その時に、味付けなどをおふくろから学んでいたのでしょう。「にしめ」料理の味など料理の味は、親子で受け継がれるのものなのですね。 私は、妻が他界してから、娘と2人で料理作りに励んでいます。娘は、料理づくりで妻の味などを想い出しているようです。娘は勤めていますので、平日の昼・夕食づくりは、私の担当です。私は、今までの家庭の味を想い出しながら、「味」作りに努めたています。 特に、夕食の「みそ汁」作りには力を注いでいますが、その味は、毎回異なっているようです。さて、今夜の「みそ汁」の味は、どうなるでしょうか・・・・・。 ◆写真:平成25年4月21日(日)午後0時10分 鹿児島市:明和の自宅にて、妹の手作りの「にしめ」 |
鹿児島市へ引っ越して、最初に戸惑ったのが、「家庭のごみ・資源物の正しい出し方」でした。 市役所から頂いた「正しい出し方のガイドブック」を何回も読んで、間違いのないように、努力しています。 月〜金曜日の毎日訪れる収集車が回収した後、私は、ゴミステーションを何回ものぞいてみました。「ルール違反」の紙が貼られて、残っていないかと・・・・・。 幸いにも、今まで、きれいに回収されています。私の出した物も間違いなく分類できていることに『安堵』の気持ちです。 鹿児島市の「家庭のごみ・資源物の正しい出し方」は、@もやせるごみ、Aもやせないごみ、B古紙類/衣類、C乾電池/スプレー缶類/電球・蛍光灯、Cプラスチック容器類、D缶・びん/ペットボトルなどに分類されています。 各品物の分類については、「正しい出し方のガイドブック」に「ごみ分類辞典」として掲載されています。 例えば、「アイス枕」は「もやせるごみ」、「湯飲み」は「もやせないごみ」、「パラソル」は「粗大ゴミ」で350円必要です。・・・・・などと詳細に掲載されています。 私は、各分類に従って 一つ一つ確認しながら出す「家庭のごみ・資源物」にようやく慣れてきました。そのことで、鹿児島市民になれたような気分です。 ◆写真:平成25年4月23日(火)午前10時30分 鹿児島市:明和の自宅近くのゴミステーシン。写真は火曜日で「もやせるごみ」です。 |
出水市立東出水小学校前の米ノ津川に架かる「簗橋(やなはし)」近くに、40匹の「こいのぼり」が気持ちよさそうに泳いでいます。 私は、4月25日(木)午後4時過ぎに自家用車で通りかかりました。 幸いなるかな、丁度、張り終えられてたばかりの時でした。担当された井上自治会会長の神川孝様とお話をする機会に恵まれました。 神川孝会長は、「私は、市役所に勤務していたころ、『村つくり』を考えました。その時、井上自治会では、近くを流れる米ノ津川に、『こいのぼり』を飾ろうということが持ち上がり、平成15年に実現して毎年続いています。『こいのぼり』の提供は東出水小学校区の皆さんに呼びかけました。多くの皆様のご協力で毎年、飾っています。市民の多くの皆様が見物に来られることを願っています。近くを走る新幹線からも見ることができますので、見ていただけたら幸いです。」と話してくださいました。 こいのぼり(鯉幟)とは、ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「こいのぼり」によりますと、「元来、日本の風習で、江戸時代に武家で始まった、端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。}とあります。 今年で11回目を数える井上自治会の「こいのぼり」は、男児の出世と健康を願うと共に、地域の活性化を願って飾られています。その「こいのぼり」は、米ノ津川の川面に美しく映し出され、気持ちよさそうに泳いでいます。著名になっているここの「こいのぼり」は、母の日の前日の5月11日(土)まで飾られるそうです。 私は、自身の結婚記念日でもある5月5日になると、「こいのぼり」を眺め、「♪やねよりたかい…」で始まる「こいのぼり」と「♪甍の波と…」で始まる「鯉のぼり」をよく唄っています。そして、鹿児島県名産の「あくまき」を味わいながら、「こともの日」を考え、孫たちの成長を願っています。 ●参考文献:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「こいのぼり」 ◆写真:平成25年4月25日(木)午後4時35分 出水市:東出水小学校前の米ノ津川(「簗橋」近く)に架かる40匹の「こいのぼり」、後方は東出水小学校。米ノ津川の左岸より撮影 |
県立出水高校を昭和33年3月に卒業の私たちは、4月27日(土)午後6時30分から出水市のホテルキングで同窓会を行いました。 61名(男子:38名、女子:23名)参加の同窓会は、先ず、亡師亡友の方々へ黙祷を捧げました。 幹事代表あいさつで溝口治雄君(1組)は、「ご多忙の中に61名も多数参加していだき感謝します。高校時代を共に過ごした当時を想い出し『絆』を大切にして、これからもお互いに健康に留意して過ごしましょう。」とのあいさつがありました。 そして、懐かしい「校歌」(春鳳の天がけり・・・・・)を声高らかに4番まで唱いました。 記念写真撮影の後、次回幹事選出があり1〜7組の各学級から1名ずつ選ばれました。 そして、開宴に先立って祝吟が披露されました。祝吟は、大島敦子さん(5組)・徳田アツ子さん(5組)の2人が、『和歌』、『わが胸の』、『城山』などを会場一杯に響き渡る透きとおる声で朗々と詠い上げられました。 次に、乾杯に入りました。乾杯の発声は、最も遠方からの参加者の門間恭子さん(5組)(茨城県)でした。門間恭子さんは、「久しぶりに参加しました。この会がますます発展することを祈念して乾杯します。」と元気のよい発声に参加者も応えて声高らかに乾杯をしました。 宴会へと進みました。 途中でサプライズとして、同窓生で画家の浅見(旧姓川添)純男君(2組)から3枚の絵画の提供があり、抽選が行われました。浅見君本人は欠席でしたが、高価な絵画に参加者は見入って感動していました。 余興ではカラオケに人気がありました。プロ顔負けと思われるような達人も現れ、大変な盛り上がりでした。 その間、お互いの会話が弾み、閉会の時間は、いつもながらオ−バ−してしまい、万歳三唱があって、お開きとなったのは、9時を回っていました。 当日、私を含めた数名の「友」は、二次会・三次会へと展開して、年甲斐もなく遅い時間の「お開き」となってしまいました。 高校の同窓会は、高校時代の「友」との再会で高校時代の話題が尽きませんでした。昭和33年(1958年)3月卒業ですので、およそ55年前のことになります。それでも高校時代のことが鮮明に想い出されて、青春時代を謳歌することできました。 今回の資料の表・裏表紙に「ツル」の美しい写真が印刷されていました。それは、代表幹事の溝口治雄君が、卒業記念に私を含めて男女数名でツルを見に行った時を想い出して、掲載したということでした。いろいろな想い出があるものですね。 次回の同窓会は、2年後の平成27年春に予定されました。次回も健康に十分に気を付けて元気で参加し、声高らかに「校歌」を唱い、「友」と語らい、青春時代を謳歌したいと思います。 ◆写真:平成25年4月27日(土)午後6時40分 出水市:ホテルキングにて、溝口治雄君(1組)の幹事代表の開会のあいさつ |
私は、4月28日(日)午後2時から霧島市民会館で行われた「ビキタン吹奏楽団」の演奏を初めて聴きました。 「ビキタン吹奏楽団」は、指揮者の内田貢先生(現在、鹿児島市立武岡中学校勤務)がトレードマークとされている「かえる」から命名されたそうです。 その「かえる」が、オープニングの、『シャンテ(合唱)』のステージのバックに大きく映し出されていました。 「うす緑」のシャツを着用された60名の団員は、吹奏楽を心から愛しておられる雰囲気て演奏をされていました。 ♪オープニング このステージでは、@『シャンテ(合唱)』、A『祝典行進曲「ライジングサン」』、B『サウンド・オブ・ミュージック』、C『バンドのための民話』が演奏されました。 B『サウンド・オブ・ミュージック』の演奏の後、団長あいさつがありました。、 団長の河野志保様は、「ビキタン吹奏楽団は、内田先生の指導を受けた錦江小学校金管バンド、亀津中学校吹奏楽部の卒業生が中心となって2000年に結成、2001年に第1回演奏会を行いました。そこに、国分中学校吹奏楽部の卒業生、霧島中学校吹奏楽部の卒業生、それからビキタン吹奏楽団の音楽に共感したメンバーが加わり活動をしています。私は錦江小学校でお世話になりました。」とにこやかにあいさつをされました。 ♪ポピュラー このステージでは、バックの反響板がスクリーンに変わり、曲に合わせて色とりどりの色彩感の溢れる鮮やかなライトで演出されました。 演奏曲は、@『ドリフ大爆笑のテーマ』、A『J−BEST゛12』、B『さよならの向う側』、 C『行くぜっ!怪盗少女』、D『サウス ランパート ストリート パレード』でした。 それぞれの曲に趣きがあって楽しいステージでした。中でもB『さよならの向う側』では、歌姫と紹介された井島育子様が山口百恵に扮して唄われました。私は、山口百恵さん本人と思える歌唱力に吸い込まれてしまいました。井島育子様は、司会も担当され、爽やかな歯切れのよい声で曲目等を紹介されていました。 ♪エンディング このステージでは、バックは反響板に変わり、落ち着いた雰囲気で、@『スカイ ハイ』、A『バラの謝肉祭』、B『歌劇「イーゴリ公」より ポーロヴェツ人の踊り』が演奏されました。 ♪アンコール アンコールを求めて、会場一杯を埋め尽くしたおよそ1,050人の観客から拍手が鳴り止まず、それに応えて2曲を演奏されました。 指揮を終えられてロビーで内田先生は、「連休中にもかかわらず、多くの皆様がお越しくださいまして、心から感謝しています。大変、楽しく指揮をすることができました。」と話してくださいました。 指揮者の内田先生は、「吹奏楽コンクールデータベース」によりますと、九州吹奏楽コンクールには、亀津中学校時代に3回(全て金賞)、国分中学校時代に3回(全て金賞),霧島中学校時代に1回(銀賞)の計7回出場され、金賞を6回受賞されています。 その中で、2005(平成17)年の国分中学校時代は、第53回全国吹奏楽コンクールへ出場され金賞を獲得されています。その時は、名古屋国際会議場で行われ、[課題曲] II : マーチ「春風」 (南俊明)、[自由曲] バレエ組曲《シバの女王ベルキス》 (レスピーギ (小長谷宗一))を指揮されています。 私は、内田先生の指揮による演奏を初めてお聴きしました。全国大会で金賞を獲得されたこともある指導力と当時の出場者、そして、奏者が大人の方々が多いこともあって、演奏が繊細で奥行きのある素晴らしい演奏でした。展開でソロや踊りなどの入る箇所も随所に見られるなど、「ビキタン吹奏楽団」の格調高く変化に富む演奏に感動の連続でした。 ◆写真:平成25年4月28日(日)午後3時35分 「ビキタン吹奏楽団」、第13回演奏会♪エンディングの@『スカイ ハイ』の演奏の場面 霧島市:霧島市民会館(収容人数=1,050席) |
今日、5月5日は、「こどもの日」で「端午の節句」です。 私は、「あくまき」を食べて、「端午の節句」を祝ってします。 「あくまき」は、最近、市販されていますので、簡単に求めることができますが、私が子供の頃は、各家庭で作られていました。 我が家では、母が、前日から灰汁(あく)に漬けて置いたもち米を、同じく灰汁に一晩漬けておいた竹の皮に包み、竹の皮で作った糸で縛り、灰汁で半日程度炊いて作っていました。 私の記憶では、竹の皮は前年に竹の皮を竹山で拾って乾かしていたもの、灰汁(あく)は自宅の灰に水を流して作ったものなど、その準備は大変でした。その大変さが、「あくまき」の味に表現されていたようです。私は、、「あくまき」を主食として、ごじゅはん(おやつ)として、美味しく頂いていました。 「あくまき」について、ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「あくまき」によりますと、「始まりは、薩摩藩が関ヶ原の戦いの際、または豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日持ちする兵糧として作ったといわれる。ただし他にも諸説あり、農家の田植え時の保存食、・・・・・。また西南戦争の際にも西郷隆盛が保存食として持参しており、これを機に薩摩藩外の宮崎県北部や熊本県にも広く普及することとなった。」と。 また、鹿児島市のHPによりますと、「『あくまき』は、男の子の端午の節句を祝うための鹿児島の伝統菓子です。島津義弘公が関ヶ原の戦い(1600年)に持参した薩摩兵児の兵糧であったという説や、農家の田植期の保存食という説もあります。」とあります。 私は、「こどもの日」の今日、5月5日、鹿児島県の伝統菓子「あくまき」を食べて、「端午の節句」をお祝しています。そして、結婚記念日にもなります。 日常生活では、それぞれの節目の日の意義を考えながら歩むことは、より一層、メリハリがあって充実した日になるようです。私は、今年の4月27日(土)から始まったGWの一日一日を、そう思いながら過ごしています。 ◆写真:平成25年5月5日(祝)午前10時55分 鹿児島市:明和の自宅にて、「あくまき」 |
私は、5月4日(祝)、長島町の「第3回夢追いながしま花フェスタ」を孫たちと一緒に見学して、魅了してしまいました。 その様子の一部が右の写真で、B会場「川床ふれあいの郷会場」です。 会場一杯には、ご覧のような花が咲き、おとぎの国に来たような世界に吸い込まれてしまいました。 1歳の誕生日を過ぎたばかりの孫は、ヨチヨチ歩きながら、美しい花を指さしてニコニコしていました。魅了の表現だと感じました。 「花フェスタ」は、B会場の他に、A会場「サンセツトの丘会場」があります。A会場は長島町文化ホール周辺にあり、丘陵地帯に色とりどりの花が植えられており立体感があり迫力があります。会場は、A・B会場だけではなく長島一周道路沿いにも、花が植えられています。長島は「橋を渡るとフラワーアイランド」と命名されているとおり長島全体が「花フェスタ」会場となっています。 「第3回夢追いながしま花フェスタ」は、「夢追い長島 花フェスタ」の名称で、平成23年3月20日(日)〜5月22日(日)まで、鹿児島市吉野公園を主会場として行われた「第28回全国都市緑化かごしまフェア」、鹿児島のフェア名の「花 かごしま 2011」の協賛イベントとして行われました。 その後、「夢追いながしま花フェスタ」は、夢追いながしま花フェスタ実行委員会・長島町・長島町教育委員会の主催で行われ、今年で通算3回目を数えます。 当日、黒之瀬戸大橋近くの道路は大停滞、その上、だんだん市場の駐車場は、大変混雑していました。その混雑は、警備員の指示でスムーズに整理されていました。 霧島市に住む孫たちと鹿児島市在住の嫁の両親などは、今年のGWの見学地の一つとして、長島の「花フェスタ」を選定されました。当日は、天候にも恵まれて、美しい花、青空に映えてのより一層の美しい風情に魅了しておられました。私は、私の郷里長島の「花フェスタ」の美に、自分自身でも魅了してしまいました。 ●今年の「第3回夢追いながしま花フェスタ」は、3月30日(土)に開幕して、5月6日(祝)で閉幕しました。花はそのまま残っていますので、当分の間、充分に魅了できるものと思われます。 ◆写真:平成25年5月4日(祝)午後3時10分 長島町:「第3回夢追いながしま花フェスタ」のB会場の「川床ふれあいの郷会場」 |
私の大好きな「ホークス」の試合が、今日(5月11日・土)午後1時から、鹿児島県立鴨池野球場で「ライオンズ」を相手にありました。 今日の試合は、両チーム共、エースの先発でしたので、最小得点の投手戦になると思っていました。 先ず、2回に「ライオンズ」がホームランで先制すると、「ホークス」は、その裏に追いつき、5回裏に1得点をしてリードしました。6回に打線が爆発して6点を入れて試合を決めました。、 今日の結果は、5連敗中の「ホークス」が10−3で勝ち、不振の続く鹿実出身で選手会長の本多雄一選手が3安打1四球で試合後のヒーローインタビューを受けました。「ホークス」が勝ち、本多雄一選手のヒーローインタビューなど、私にとりましては今日の鴨池野球場は最高の一日となりました。 私は、昨年の5月22日(火)10年振りにヤフードームへ行き、ソフトバンク「ホークス」対広島「カープ」戦を観戦、「ホークス」が9−1で勝ったことを想い出しました。 今日の鹿児島市の天気は、午前中は雨で、私の住む鹿児島市明和は正午も小雨でした。正午に鴨池野球場に電話をして、試合の実行の有無を確認しました。即座に「試合はありますよ」という回答でしたので、直ぐ鴨池野球場へ向かいました。野球場付近は曇りでグラウンドは綺麗に整地されていました。試合の後半になると晴れ間も見られるようになり最高の野球日和でした。 今日の18,150人の観客は、9割が「ホークス」ファンと思われる雰囲気でした。「ライオンズ」ファンも必死に声援をしておられました。グラウンドの展開と共にスタンドの応援にも目を向けながら楽しみました。 私は、一塁側の写真を撮している位置になる内野席A指定の場所から観戦しました。8回の表にビールとジャンボフランクを求めて、少し早いとは思いましたが一人で勝利の乾杯をしてしました。 ◆写真:平成25年5月11日(土)午後2時10分 福岡ソフトバンク「ホークス」対埼玉西武「ライオンズ」の試合の模様 鹿児島市:鹿児島県立鴨池野球場 |
今日(5月12日)、午後4時50分頃、桜島の爆発がありました。早速、明和の自宅の2階のベランダから撮したのが、右の写真です。 私は、室内で家の整理をしていました。すると物凄い音がしましたので、「桜島の爆発」だと思って、桜島を見てると噴煙を上げていました。みるみるうちに高くなってきました。 噴煙の高さはおよそ何メートルなのでしょうか。鹿児島地方気象台等の発表の数値を参考にして、自分でも噴煙のおよその高さを言えるようにしたいと思っています。 桜島の今年の爆発回数は、鹿児島地方気象台のHPによりますと、5月6日現在で363回を記録しています。 ◆写真:平成25年5月12日(日)午後4時55分 鹿児島市:明和の自宅の2階ベランダから桜島を望む |
私は、5月11日(土)、県立鴨池野球場で行われた福岡ソフトバンク「ホークス」対埼玉西武「ライオンズ」の試合を観戦しました。 一塁側の「ホークス」側から声援を贈りました。 「ホークス」のラッキーセブン、攻撃の始まる前は、「ホークス」の応援歌が流れました。 グラウンドでは、「ホークス」の応援歌が流れている間、写真のようなチアガールの皆さんの素敵な舞がその曲に乗って鮮やに、華やかに、披露されました。 曲が終わると同時に黄色いフーセンを放ちました。実際にその光景に接すると、その準備も含めて楽しいものでした。 ところで、私は、「ライオンズ」を必死に応援していた時があります。それは。西鉄「ライオンズ」の時代です。 特に、昭和31年(1956年)は初の日本一達成、昭和32年(1957年)は2年連続2度目の日本一達成。昭和33年(1958年)は、3年連続の対戦となった巨人との日本シリーズで3連敗の後、稲尾和久投手の好投で4連勝を飾って日本一になりました。昭和33年の優勝の時は大学1年生でした。 その西鉄「ライオンズ」が、昭和54年(1979年)に西武「ライオンズ」として、所沢へ引っ越してしまいました。 平成元年(1989年)に、南海「ホークス」が、福岡ダイエー「ホークス」として、福岡をフランチャイズにスタートしました。 私は、西鉄「ライオンズ」をあれほど応援し、南海「ホークス」の負けを喜んでいた時がありました。ところが、今では完全に逆です。 やはり、フランチャイズ制の大きな影響なのでしょう。地元、九州の福岡ソフトバンク「ホークス」を応援しています。 ◆写真:平成25年5月11日(土)午後3時55分 福岡ソフトバンク「ホークス」のラッキーセブン、フーセンの打ち上げ寸前。バックスクリーン後方の建物は、鹿児島県庁です。 鹿児島市:鹿児島県立鴨池野球場 |
広島カープで活躍された出水市出身で出水高校OBの外木場義郎元投手は、1月に野球殿堂入りをされました。 これに合わせて出水市では、「出水市市民栄誉賞」を創設され、第1号として授与され、その業績を称えられました。 その授与式は、5月14日(火)出水市役所であり、賞状と記念の盾が渋谷俊彦市長から手渡されました。 そして、その夜、祝賀会が午後6時30分から出水市のホテルキングで約150人参加して行われました。 会は、出水高校野球部OB会・出水市軟式野球連盟・出水市で実行委員会を組織されて盛大に行われました。 当日、外木場義郎氏は、出水高校野球部主将の先導で大きな拍手に迎えられて会場に入場してこられました。 実行委員長の渋谷俊彦市長のあいさつ、外木場義郎氏のお礼のことばと続きました。 そして、出水高校で外木場義郎投手を指導された当時監督の遠屋菊男先生は、「いいカーブを投げる投手がいるといううわさを聞いて出水中学校へ行って見ました。カーブの切れ味に見とれてしまい、熱心に勧誘しました。それが外木場君です。外木場君は出水高校のエースに成長し、3年生の時の夏の大会では優勝戦に進出しました。残念ながら鹿児島高校に0ー1負けてしまい甲子園へ行けませんでしたが、その年の活躍は今でも鮮明に覚えています。」と当時を振り返りながらあいさつをされました。 外木場義郎氏は、昭和39年(1964年)県立出水高校卒業後、電電九州に入社、昭和40年(1965年)プロ野球広島カープに入団されました。その年の10月2日の阪神戦にてノーヒットノーランでプロ初勝利、昭和43年(1968年)9月14日の大洋戦で完全試合、昭和47年(1972年)4月29日の巨人戦で3回目のノーヒットノーランを達成されています。 昭和50年(1975年)には、最多勝(20勝)、最多奪三振、沢村賞のタイトルを獲得、昭和54年(1979年)チーム初の日本一を機に現役を引退されました。通算成績は131勝138敗です。 私は、出水高校野球部OB会の一員として参加しました。私の出水高校卒業は、昭和33年(1958年)ですので、外木場元投手とは少し離れていますが、同じ出水高校野球部OBであることを大変誇りに思っています。 当時監督の遠屋先生は、私の高校3年生の時、大学を卒業されて体育教師として着任されました。私は野球部のマネージャーでしたので、遠屋先生とは色々なことで直接お話しをする機会に恵まれました。遠屋先生は、母校の監督として、一生懸命に指導しくださいました。 遠屋先生は、外木場投手を中学時代に逸材として見抜かれ、熱心に出水高校へ勧誘されて素晴らしいエースに育てあげられました。今回の野球殿堂入りと出水市市民栄誉賞に輝く教え子の成長を心からお喜びの様子が伝わってきました。 ●参考文献:14日(火)の祝賀会の配付資料による ▲外木場義郎氏 記念講演会 日 時:平成25年6月1日(土)午後1時15分〜午後2時45分(入場12時45分〜) 場 所:出水市文化会館 音楽ホール 演 題:「私の野球人生」 聴講料:無料 問合せ先:出水市教育委員会市民スポーツ課 電話0996−63−2154 ◆写真:平成25年5月14日(火)午後6時55分 外木場義郎氏のあいさつ 出水市:ホテルキング |
鹿児島市明和の自宅では、「光回線」の工事が4月17日(水)に完了して、新たな「インターネツト」環境を整備しました。 今までの「インターネツト」は、鹿児島市明和の自宅と出水市のマンション(賃貸)に架設していましたが、すでに10年以上を経過していました。 この度の鹿児島市の自宅への引っ越しを機に、新たに最新の「光回線」へ整備することにしました。 工事を終えて、新しい「インターネツト」は、アクセスの早さに驚いています。 「インターネツト」は、私の日常生活には、なくてはならない物になってきています。 例えば、@いろいろな情報の検索,A新しいニュースの入手、Bプロ野球の試合経過、C訪れてみたい場所の資料の入手、D航空券・列車の予約などに活用しています。 そして、今、ご覧の「鹿児島いずみテレビ」の「コラム」は、鹿児島の自宅に設置の「インターネツト」から掲載しています。 私は、「インターネツト」を導入するまでは、難しいものと思い込み、導入には極めて消極的てした。それまでは「ワープロ」を利用していましたが、時の流れに乗って、「パソコン」を活用するようになりました。操作などには苦戦の連続でしたが、得意な方々にお聞きして今となってきました。お世話になった多くの皆様に感謝の気持ちで一杯です。これからもよろしく、お願いいたします。 「インターネツト」の環境を整備しましたので、自宅にいながら、自分の思いどおりに今まで以上に、早くアクセスすることができるようになりました。 その先には、各種の資料やニュース、そして、ファンタスティクな世界が広がってくると思います。今まで以上に、楽しみが広がってくることを楽しみにしています。 ◆写真:平成25年5月20日(水)午後10時10分 鹿児島市:明和の自宅の「コンピュータ」 |
出水市高尾野町柴引〜さつま町泊野を結ぶ「北薩トンネル」は、3月24日に貫通しました、 「北薩トンネル」は、4,850メートルで、鹿児島県最長のトンネルになります。現在の最長は、伊佐市〜熊本県人吉市を結ぶ「久七トンネル」の3,945メートルです。 その「北薩トンネル」は、溝辺鹿児島空港IC付近から出水市を結ぶ「北薩横断道路」(総延長70キロ)の一部として建設されています。 「北薩横断道路」は、ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「北薩横断道路」によりますと、「霧島市の溝辺鹿児島空港IC付近から分岐し、さつま町を通り、出水市までを結ぶ地域高規格道路として建設されており、2012年2月現在、野坂IC-さつま広橋IC間及び中屋敷IC-高尾野IC間 (13.4km)が開通済みであり、泊野IC-中屋敷IC間が建設中である。」と記述されています。 今年3月の「北薩トンネル」の貫通式を祝う渡辺組の新着ブログによりますと「平成26年12月竣工に向け、止水工事・舗装・内壁コンクリート工事などまだまだ工事は続きます。」とあります。 来年12月に「北薩トンネル」が竣工しますと、その役割は計り知れないものがあると思います。現在、部分開通している中の「霧島市野坂〜さつま広橋」間を私は、よく利用しています。それは、所用時間が短縮されるなど、大きな役割かあります。 私は、出水に長年生活していましたので、「北薩トンネル」を含む「北薩横断道路」の完成の良さを実感として味わうことが出来ます。出水地方と鹿児島空港方面への所用時間の短縮、冬の降雪の紫尾峠の通行の回避、そして、快調なドライブ、・・・・・などと。 ◆写真:平成25年5月24日(金)午後4時50分 出水市:高尾野町柴引の「北薩トンネル」工事現場取り付け道路付近にて。 「トンネル工事を行っています。平成26年12月4日まで」と標示してあります。 横断している鉄道は、九州新幹線です。 |
出水市出身の倉本ゆみ(本名:藤本悠未)さんは、念願のデビュー曲『泣いたりしない』を5月24日(金)、地元の出水市文化会館大ホ−ルで発表しました。 『泣いたりしない』 作詞:椎木重治、作曲:岩元寛 1 ネオン きらめく 博多の街は 私しにとって 夢の街 今夜も一人 淋しいけれど 母に誓った 私しの思い 泣いたりしない 夢がある 2、3は、省略しました。 この曲は、司会者の薩摩の重ちゃんこと椎木重治さんが作詞されています。当日、司会の中で、薩摩の重ちゃんは、「夢を追いかける娘を応援する母の想いを込めて作詞しました。」と紹介されました。 5月24日(金)は、「薩摩の重ちゃん日本司会芸能協会10周年記念企画」の角川博オンステ−ジが出水市文化会館(定員1,159人)で昼夜2回行われました。 その中の第2部のゲストコーナーで倉本ゆみさんは、登場し、念願のデビュー曲『泣いたりしない』を発表しました。この曲の作詞者でもある椎木重治さんが作詞の思いなどを巧みに紹介されました。 倉本ゆみさんは、出水中央高校を平成20年3月に卒業後、福岡市を活動の拠点に置きあらゆるジャンルの音楽表現やダンスなどのパフォ−マンスへのアプロ−チを試みています。高校時代は、体育祭や文化祭などでもダンスなどの演技を披露し、観客を魅了していました。その実力は早くから高く評価されていました。 私は、24日(金)、午後1時から始まった昼の部を聴きました。「薩摩の重ちゃん日本司会芸能協会10周年記念企画」角川博オンステ−ジの全ての内容に感動しました。 中でも、倉本ゆみさん出演のゲストコーナーでは、倉本さんの心境を察知しながら聴きました。遂に念願のデビュー曲発表とその曲が応援されているお母さんの想いを綴られた曲だからです。私は、曲を聴きながら、吸い込まれてしまいました。観客からは大きな拍手か贈られ、多くの花束などが手渡されました。倉本さんの今後の活躍を大いに期待します。 そして、日本司会芸能協会員として全国各地で活躍されている薩摩の重ちゃんこと椎木重治さんのご活躍に心から大きな拍手を贈ります。 ◆写真:平成25年5月24日(金)午後2時25分 倉本ゆみさんとデビュー曲を紹介される薩摩の重ちゃんこと椎木重治さん 出水市:文化会館(定員1,159人 =固定席1,006席+立見147人+車いす席6席分) |
私は、自家用車を運転しながら食べる車内弁当は、写真のような「いなり寿司と巻き寿司」が中心です。 それは、食べやすいからです。そして、それ以上に私は、「いなり寿司と巻き寿司」が大好きな献立なのです。 「巻き寿司」は、私の小・中学校のころの運動会の献立の中心でした。その時の味を忘れがたくでよく食べています。 「巻き寿司」の中心のカンピョウの味、キュウリの味、卵焼きの味など、その味をごはんの外をまいている海苔の味と相まって、美味しいのです。 「いなり寿司」は、たっぷりと味をつけてある厚揚げの味とその中に包んであるご飯が美味しさを醸し出しているからです。 私は、出水と鹿児島との往来、そして、私の故郷・長島と鹿児島との往来では「いなり寿司と巻き寿司」を車内でよく食べています。運転中の食事は、健康面からはよくないのかも知れませんが、時間の活用には大変に役立っています。 私は、大好きな「いなり寿司と巻き寿司」の味を、ドライブしながら各店で求め、追求していきたいと思います。そして、私に味に適する最高の味を提供されている店を探し求めたいと思っています。 ◆写真:平成25年5月26日(日)午後0時50分 自家用車の運転席の「いなり寿司と巻き寿司」とお茶 出水市:西ノ口のスーパーの駐車場にて |
第62回鹿児島県高等学校音楽祭は、5月30日(木)・31日(金)の2日間、74団体(各日37団体)の参加で鹿児島市の宝山ホールで行われました。 出水中央高校吹奏楽部は、初日の30日(木)の36番目、5時30分に冬服で登場しました。 演奏は、野ア大翼先生の指揮で、『ジュビリー序曲』と『ザ・ピース』の2曲でした。 先ず、2・3年生57名によって『ジュビリー序曲、Jubilee Overture』でした。 この曲は、題名のJubileeが「祝典」という意味で、その通りの喜びに満ちた響きを会場一杯に醸し出しました。この曲は、去る4月19日から23日まで,台湾で行われた「第7回台湾国際音楽節」に招待されて演奏されたものです。 祝祭的な雰囲気を醸した演奏が終わると、満員の観客から大きな拍手が贈られていました。 その間に、1年生(33名)も登場して部員90名がステージに勢揃いしました。 そして、2曲目の『ザ・ピース』の演奏が始まりました。この曲は、90名が演奏しながらステージ一杯を動き回る構成でした。若者らしく、元気よく、見事な演奏の中に、踊りを入れたり、歌を入れたり、声を入れたりして変化に富む構成でした。各動きの一糸乱れぬ見事な演技の「舞」に大きな拍手が贈られていました。 限られた演奏時間(9分)の中で、『ジュビリー序曲』と『ザ・ピース』の2曲を披露された出水中央高校吹奏楽部の「奏と舞」に心から感動しました。前者の高度な「奏」、後者の楽しい「舞」は、県高校音楽祭に相応しい選曲・演技でした。 演奏を終えて、部長の窪田麻里(ホルン・教養課程3年)さんは、「演奏前の不安が、会場の皆さんの身を乗り出して聴いて折られる姿、最後の大きな拍手に、演奏・演技をした喜びを感じました。喜んでいただいて感動しました。」と不安を一掃して満足の気持ちでにこやかな話しでした。 顧問で指揮者の野ア大翼先生は、「最初は、緊張して震えていましたが、自信を持って演奏している生徒の目の輝きに励まされ、気持ちよく指揮をすることができました。会場の皆さんの反応などから良い演奏・演技ができたと思います。」と満足感が漂う中で会話ができました。 私は、今春から指導されいる野ア大翼先生の指揮を初めて見て、聴きました。野ア先生のコメントにもありましたが、緊張して震えてもあったようですが、素敵な「奏と舞」が披露されました。退任された福島玲二先生の教え子ということもあって、立派に引き継がれていることを感じました。 私は、初日の後半を観覧しました。各学校の楽しい演奏に心を引かれ感動の連続でした。観客も多くて、県高等学校音楽祭の人気の高いことが分かりました。 その中で、9年目を迎えた出水中央高校吹奏楽部の自信とプライドに満ちた演奏・演技を堪能することができました。今回も見事な熱演に感動を頂きました。 ◆写真:平成25年5月30日(木)午後4時25分 第62回鹿児島県高等学校音楽祭の入り口の看板(会場内での撮影が禁止のため) 鹿児島市:宝山ホール→1,502席(車椅子席4席含む)、立見115人 |
私は、6月4日(火)の夜、サッカーW杯アジア最終予選B組のオーストラリア戦をテレビで観戦、本田圭祐選手のPKが決まった瞬間、酔ってしまいました。 その瞬間、1−1の同点となり、日本代表は、2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の出場を決めたのです。 5大会連続の出場決定で、その快挙に大きな拍手を贈ります。 62,172人集まった埼玉スタジアムの大観衆は、その瞬間、喜びの気持ちを爆発させていました。私も同じ気持ちで選手の皆さんへ大きな声援を贈りました。 当日は、後半37分に得点されて窮地に立たされましたが、ロスタイムで本田選手がPKを決めて1−1の同点としました。そのままのスコアで試合終了となり、日本代表は、アジア最終予選B組を突破することになりました。 日本の最終戦は、今月11日(火)ドーバ(カタールの首都)で行われるイラク戦です。日本は、最終戦を待たずに現在、4勝1負2分の勝ち点14を獲得しています。この勝ち点14は、他の国がそれを上回ることができませんので、日本のB組一位通過が決まりました。 2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会は、来年6月12日から7月23日までブラジルの12会場で行われます。出場国は、開催国プラジル以外で最初に決まったのが日本です。サッカー大会で世界中で最も注目されているW杯大会の幸先のよい予選突破になります。 サッカーの魅力を私は、@一進一退となつて展開される試合の動き、A相手を突破してゴールを目指す動き、Bコーナーキックから展開されるゴールポスト前の両軍選手の動き、Cゴール前のフリーキックの動き、DPK戦の場合のキッカーとゴールキーパーの動き(心の動き)などいろいろ感じています。 前回のW杯は、2010の南アフリカで行われスペインの優勝で幕となりました。 私は、三つのことが心に残っています。 一つ目は、日本選手の活躍です。なかでも、デンマ−ク戦は圧巻でした。試合前半の本田・遠藤両選手のFKは、芸術的な美しい弧を描いてネットを揺らしました。そして、後半の岡部選手のシュ−トは、無人のゴ−ルへ吸い込まれていきました。 二つ目は、西村雄一審判の毅然とした判定です。世界が注目する好カ−ド「オランダ対ブラジル戦」の双方の選手がエキサイトして反則になる場面を、西村主審は冷静に裁いておられました。西村主審の落ち着いた判定は、国内外のメディアでも高く評価されていました。 三つ目は、競技に直接関係ないことですが…。民族楽器「ブブゼラ」の大音量の応援とドイツのオ−バ−ハウゼン水族館のタコ「パウル君」の占いが的中したことでした。 来年の今頃から始まるワールドカップ(W杯)ブラジル大会は、参加国が最高のプレーで熱気溢れる展開になるものと思われます。そして、日本代表は、前回以上の優勝を目指して頑張り、数多くの記憶に残るブレーが期待されます。 〜「にっぼん ガンバレ」〜 ◆写真:平成25年6月8日(土)午前8時10分 芝生上のサッカーボール |
出水中央高校の第39回文化祭は、6月8日(土)、体育館等で行われました。 文化祭テーマは「BRIGHT〜かけがえのない個性の光〜」でした。 このテーマは、普通科特進課程3年3組から提案されたものです。 そのテーマのもと、@舞台部門、A展示部門、B食品バザー・物品販売の3部門で行われていました。 @舞台部門は、体育館で13のプログラムで進められました。 演技は、オ−プニングが吹奏楽の演奏、そして各学級からの劇とダンス。グループによるバンドとダンス、歌などがありました。 今回は、特に、出水中央高校出身でプロの歌手デビューしたばかりの倉本ゆみ(本名:藤本悠未)さんの『倉本ゆみ母校凱旋ライブ』がありました。 平成20年3月卒業の倉本ゆみさんは、念願のデビュー曲『泣いたりしない』を5月24日(金)、地元の出水市文化会館大ホ−ルで発表したばかりです。 母校のステージは、午後1時55分から15分間でした。司会は池袋玲子先生と加島亮耶(教養課程3年)君の2人で楽しく進められました。途中で3年の時の担任の田原隆博先生も登場されて、高校の文化祭や体育祭でダンス等を披露して頑張っていたことなどが紹介されました。 倉本ゆみさんの唄とトークに会場から大きな拍手が贈られました。そして、最後に生徒を代表して安慶卓哉(教養課程3年)君と山元明弘(医療福祉科2年)君から先輩の倉本ゆみさんの今日のお礼と今後の活躍を祈って花束が贈られました。 A展示部門は、15団体の発表がありました。 部門展示は、自然科学同好会の参加型実験や芸術部の芸術部作品展示コーナーの他は、各学級の展示・実技・映画など変化に富む展示や実習がありました。特に、看護学科や医療福祉科ではその専門性を発揮する内容がありました。 B食品バザー・物品販売は、5団体でした。 家庭部のキャラメルポップコーン等、学級からはわたあめ、ホットケーキ、アイスクリーム等、そして、PTAによるパンの販売がありました。 私は、長年、高校に勤めていました。毎年訪れる文化祭などの学校行事が好きでした。生徒諸君と一緒に取り組み必死にガンバっていたことを想い出します。 学級・部・クラブは、先ず、出し物を決め、計画を立てて、それに沿って全員で協力しながら進めていく、そして、当日を迎える。それまでには、言葉では言い尽くせない数々のドラマがありました。その中で高校生の発想の豊かさ、実行力の素晴らしさ、全員協力の偉大さなど若いエネルギーを充分に垣間見ることができました。 8日(土)の出水中央高校の文化祭は、多くの観客で大変賑わっていました。それは、出水中央高校の文化祭が保護者をはじめ中学生など多くの観客の皆さんを呼ぶ魅力があるからだと思います。その上、今回は、『倉本ゆみ母校凱旋ライブ』でデビュー曲の紹介がありました。 私は、多くの観客の中に混じって気持ちよく楽しむことができました。 ◆写真:平成25年6月8日(土)午後2時30分 プログラム8番:Mr.Potato Headによる「バンド:情熱ロック」の場面 出水市:出水中央高校体育館 |
出水市の米ノ津川・平良川合流地点にある「本町公園」内に、「米ノ津川:・平良川災害復旧記念安全祈願石像」が建立されました。 「祈念石造」の「開眼供養」は、6月6日(木)、関係者の皆さんのご臨席の中で行われまた。 この「祈念石造」の建立は、平成18年夏の未曾有の大災害が発生、その災害復旧工事が昨年終了して、素晴らしい河川ができました。それを機に計画が持ち上がりました。 具体的には、近くに住んでおられる竹内清志様、吉田邦子様、古城幸男様の3人が発起人となって、「石像の設置」が進められてきました。 この「祈念石造」は、近くの平良馬場自治会の有志の皆さんを中心に募金活動が行われました。多くの皆さんの賛同を得て、ご覧のように立派な「祈念石造」が建立されました。 「祈念石造」は、米ノ津川と平良川の合流地点にある「本町公園内」、写真の右側に米ノ津川、左側に平良川が流れています。その背後の合流点に「肥薩おれんじ鉄道」の鉄橋があります。 発起人の一人の竹内清志様(74歳)は、「平良川の近くに住む一人として、二度とあのような災害の発生がなく、平和で豊かな郷里の安泰を念じ、その祈願の証として、多くの皆様にご賛同を頂いて『祈念石造』を建立することができました。」と平成23年3月から取り組まれたことを振り返りながら話してくださいました。 私は、建立されたばかりの「祈念石造」の前に立ち、平成18年7月の大災害を想い出しました。あの時は、平成18年7月18日と23日にかけて、梅雨前線の影響で鹿児島県北部に甚大な被害をもたらし、出水市では浸水戸数が1305戸ありました。 当時、私は、出水中央高校に勤めていましたので、生徒諸君が市役所の指示に従って、浸水家屋の整理や泥の除去などのボランティアへ行きお手伝いをしていたことを想い出します。ある学級は、大川内小学校へ出水中央高校のバス2台で行き、お手伝いをしていたのもありました。 この度の「祈念石造」建立は、当時を想い出すと共に、二度とあのような災害の発生がないことを祈る証となる貴重な記念碑になります。私は、時々訪れてみたいと思います。 ◆写真:平成25年6月13日(木)午後0時06分 「祈念石造」とその背後を走る「肥薩おれんじ鉄道」 |
今、「アジサイ」が美しく咲いています。 道路沿いでもよく見かけます。その「アジサイ」の美を楽しみながらドライブするのも楽しいものです。 私は、時には、車を停めて、その一輪一輪の美に吸い込まれたり、全体の色とりどりの美に吸い込まれたりしてしまいます。 私は、13日(木)午後、出水市街地から野田町へ北薩オレンジロード(出水市境町から阿久根市西目を結ぶ広域農道)を通る機会がありました。 その途中の出水市武本の「江川野交差点」手前の少し坂になっている場所の右側に写真のような「アジサイ」並木があり、色鮮やかな「アジサイ」が咲いています。 その並木の中に、小さな看板があります。 その中に、「私達は、環境美化のため『あじさい』を植えて花だんづくりをしています。☆ゴミのボイ捨てや盗難などしないようにご協力をお願いいたします。江川野自治公民館・子供会・老人会」とありました。 私は、江川野自治公民館長の山本辰男様へ電話でお話を聞きました。 山本辰男様は、「最初はツツジを植えていましたが、7〜8年前に、『アジサイ』に変えました。手入れは、この時期が終って切り込みをしてから、折々に年3〜4回、自治公民館の皆さん、子供会の皆さん、老人会の皆さんと一緒になって行っています。この時期になると美しい「アジサイ」が咲き、ここを通られる多くの皆さんに喜んでいただければ幸いです。」とコメントしてくださいました。 毎年、美しく咲いている「アジサイ」の美を支えているのは。江川野自治公民館の皆さん、子供会の皆さん、老人会の皆さんであることが分かりました。私は、毎年、この時期になると、ここの「アジサイ」並木を見学しています。その美で心が癒されています。真心を込めて手入れをされている皆さんに感謝の気持ちを述べたいと思います。 今年の梅雨は、例年に比べて雨が少ない気象環境です。そのため、みずみずしい「アジサイ」の大輪の花、みずみずしい「アジサイ」並木の色とりどりの花に、私は、少し物足りなさを感じています。 これから、梅雨開けまでには、適量の雨の降る時があると思われます。私は、今年の3月末に出水市を離れて鹿児島市で生活していますので、少し遠くになりまた。適量の雨の時に訪れて、より一層美しい、みずみずしい「アジサイ」の美を見学したいと思っています。 〜 北薩オレンジロード江川野交差点近く、「アジサイ」の美が素敵です。 〜 ◆写真:平成25年6月13日(木)午後2時35分 江川野自治公民館の栽培の「アジサイ」並木 出水市:北薩オレンジロードの武本「江川野交差点」近くにて |
父の日の16日(日)、息子夫婦は、嫁のご両親と私を平川動物公園へ案内してくれました。 私は、久しぶりの平川動物公園、何時行ったか、その時期を思い出せないほど前のことです。その意味で、当日は全てが新鮮な気持ちで歩き回りました。 動物園に入っての正面は、「アフリカの草原ゾーン」でした。サイ、シマウマ、キリンなどが広々とした草原で遊んでいました。 早速、動物園の雰囲気を味わうことができました。 園内には、コアラやゾウ、虎、ライオン、ワニなど、案内のパンフレットによりますと、主な展示動物として55種類とあります。 3月に一歳の誕生日を迎えたばかりの孫は、よちよち歩きながら、時には私たちにダッコされたりしながら、いろいろな動物を興味深い気持ちで見ていました。 特に、「ふれあいランド」で、うさぎと山羊に楽しそうにふれあっていました。子うさぎを怖がらずにだっこしたり、山羊とはよちよち歩きながら一緒に歩いたりしていました。山羊の鳴き声のまねをしていました。「メエー」、「メエー」と・・・。 昼食ば、嫁と嫁のお母さんの手作りのお弁当でした。にぎりめしや煮染め、卵焼き、スパゲティ、サンドイッチなどいろいろな献立を美味しく頂きました。芝生にシートを広げた上で食べました。多くの入園者も同じようにシートを広げたり、ベンチに腰掛けたりして、食事をされていました。 当日は、時々小雨が降り、傘を差す時もありましたが、ぬれずに全体を見て回ることができました、森に囲まれた広々とした動物園で多くの動物をゆっくりと見学できました。写真の「インドの森ゾーン」のインドゾウは飼育係の人が餌を与えながら、説明をしてくださいました。 今年の父の日、私は、息子夫婦の計画で、久しぶりに平川動物公園で多くの動物たちを見学することができました。敬老パスを持参する私は、入場料が無料でした。 私は、孫たちと一緒で、手作りの弁当で、入場料無料で、久しぶりの動物園で多くの動物を見学できて、楽しい充実の父の日でした。 ◆写真:平成25年6月16日(日)午後2時50分 「インドの森ゾーン」でインドゾウを見学している孫たち 鹿児島市:平川町の鹿児島市平川動物公園にて |
「富士山」(山梨、静岡両県)は、22日(土)、ユネスコの世界遺産委員会によって「世界文化遺産」に登録されることが決まりました。 日本の山「富士山」は、「世界文化遺産」に登録によって世界の山「富士山」として広く認められることになます。 私は、このニュ−スを聞いて、大変嬉しくなりました。その意味で、ここに取り上げることにしました。 標高3,776 mの日本最高峰の「富士山」は、その形が成層火山(コニ−デ)といて著名で、どの方向から見ても裾野を広げる雄大な姿を現しています。 その優美な風貌は、日本国内のみならず日本国外でも日本の象徴として広く知られています。 その「美」は、写真にもよく取り上げられています。私は、その美に吸い込まれて飛行機で「富士山」の近くを飛行する時、いつもカメラを取り出し、望遠で追いかけています。「富士山」は周囲から一段と高く聳えています。上の写真は、私が一昨年の9月24日(土)鹿児島空港から東京・羽田空港へ向かっている時に写したものです。 そして、「富士山」は、いろいろな視点から取り上げられています。 1 絵画でもよく取り上げられています。 @葛飾北斎の富士図の連作版画『冨嶽三十六景』 A歌川広重(安藤広重)の『東海道五十三次』など 2 文学でもよく取り上げられています。 @「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」 山部赤人 A「とある停車場富士の裾野で竹の秋/ぬま久保で降りる子連れ花の姥」高浜虚子など 3 様々な表情の富士山としてもよく取り上げられています。 @赤富士:夏の朝、露出した山肌が朝焼けにより赤くなった姿 A紅富士:雪化粧した富士山が朝日や夕日で紅色に染まる姿 B逆さ富士:波立ちが少ない水面に映る逆さの富士山の光景 Cダイヤモンド富士:太陽が昇った時又は沈む時、太陽が富士山の頂上と重なり、富士 山の頂上付近がダイヤモンドのように光る現象 D影富士:朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映し出される風景など 以上、「よく取り上げられています。」の項目・内容は、私が独断で取り上げた内容です。「富士山」がいろいろな面から取り上げられていることがよく分かります。 今回の「富士山」の「世界文化遺産」の登録は、「富士山」が今まで以上に広く世界各地で関心が高まり、注目され、取り上げられるようになると思われます。そして、「富士山」の魅力は、「世界文化遺産」の登録によって、より一層、高く評価されることでしょう。 私は、あの美しい姿をしている優美な風貌の「富士山」を各地から眺望するとともに、「富士山」の頂上から、周囲を眺望してみたい心境になりました。 ●参考文献:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「富士山」 ◆写真:平成23年9月24日(土)午前11時10分(古い写真で恐縮です) 飛行機より富士山を望む 「JAL1866便」鹿児島空港から羽田空港へ飛行中の窓より |
鹿児島市は、昨日(25日・火)から雨、梅雨前線の活動が活発になってきています。 今年の南九州地方の梅雨入りは、5月27日(月)でした。梅雨入り宣言がなされてから雨の少ない日が続いていました。 ところが、昨日(25日・火)から、梅雨特有の雨が降っています。そのスナップの一部が右の写真です。 梅雨に煙る鹿児島中央駅とアミュープラザです。 この梅雨は、5月から7月にかけて毎年めぐって来る曇りや雨の多い気象現象のことです。梅雨はそれほど雨足の強くない雨や曇天が長期にわたって長く続くところに特徴があります。 この梅雨時の雨が、水田耕作に役立ち、田植が始められるのもこの雨水の恵みがあるからです。出水市野田町で農業をされている知人のM氏は、25日(火)の電話で田植が済んで「一段落しています」と元気な声が聞こえてきました。雨の中、田植えという大きな仕事をされた後の安堵の気持ちが伝わってきました。 長期に続く梅雨時の雨は土砂災害なとが引き起こすことも多いので、天気予報には充分気をつけなければなりません。特に、梅雨の末期には、ときに集中豪雨を各地にもたらすこともあります。 平成18年7月18日と23日にかけて、梅雨前線の影響で鹿児島県北部に甚大な被害をもたらし、出水市では浸水戸数が1305戸ありました。 やがて太平洋高気圧が強まって前線を北方へ押しやると梅雨明けとなって盛夏を迎えます。南九州地方の梅雨明けは、例年7月の中頃です。今年は何時になるのでしょうか。 今、梅雨の真っ直中です。当分、雨が続くと思われます。この時期は、カビや食中毒などに注意が必要な季節とされています。 私は、来月半ばに予報されている梅雨明けを待ちながら、梅雨期の気象状況を伝える天気予報に充分に耳を傾けると共に、健康管理には充分気をつけたいと思います。そして、田植の済んだ水田地帯の美など、梅雨時の風景にも目を向けていきたいと思います。 ●参考文献:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「梅雨」 ◆写真:平成25年6月25日(火)午後4時10分 梅雨に煙る鹿児島中央駅とアミュープラザ 鹿児島市:ナポリ通より鹿児島中央駅方面を望む |
我が家の食卓に旬の味「トウモロコシ」が登場しました。 ここ数日、本格的な梅雨で雨が降り続いています。 うっとおしい日が続いていますので、食欲増進の品物を考えるのも大事だと思います。その一つに「トウモロコシ」を考えました。 「トウモロコシ」には、いろいろの種類がありのますが、食用として有名な甘味種(スイートコーン)を取り上げました。 その甘味種(スイートコーン)の調理方法には、茹でる(ゆでる)、焼く、蒸すなどの方法があります。 写真の茹であがった「トウモロコシ」は、鹿児島産の「スイートコーン」です。新鮮でみずみずしく、出来上がりました。私は、旬のトウモロコシを、もりもりと美味しく食べました。 この旬の味を醸し出している「トウモロコシ」を味わいながら沢山食べて、うっとおしい梅雨時期の食欲を図り、体力を増進していきたいと思います。 ◆写真:平成25年6月28日(金)午後8時05分 茹であがった「トウモロコシ」 鹿児島市:明和の自宅の食卓 |
南九州西回り自動車道の「出水IC」は、平成29年度完成予定で工事が進められています。 南九州西回り自動車道は、鹿児島市と熊本県八代市を結ぶ総延長約140キロの道路です。鹿児島市からと八代市から逐次開通してきています。 その中で出水・阿久根道路(総延長約14.9キロ)は、今、工事の真っ最中です。平成29年度までには開通の予定です。 ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「南九州西回り自動車道」と渡辺組の新着ブログによりますと、次のように掲載されています。 @2014年(平成26年)度 - 阿久根北ICから鶴川内IC間が供用を開始する予定 A2015年(平成27年)度 - 野田ICから阿久根北IC間が供用を開始する予定。芦北ICから津奈木IC間が供用を開始する予定 B2016年(平成28年)度 - 高尾野ICから野田IC間が供用を開始する予定 C2017年(平成29年)度 - 出水ICから高尾野ICが供用を開始する予定 D2014年(平成26年)度 -「北薩トンネル」(さつま町〜出水市を結ぶ)の貫通式を祝う渡辺組の新着ブログによりますと「平成26年12月竣工に向け、工事は続きます。」とあります。 上の開通計画を見ると、平成26年度に@・D、平成27年度にA、平成28年度にB、平成29年度にCの開通が示されています。出水地方では、毎年、逐次、高速道路の開通になります。 私は、特に、来年度の@と共にDの開通を楽しみにしています。鹿児島空港と結ぶ鹿児島県最長の「北薩トンネル」(4,850メートル)の開通は、出水地方にとりましては、非常に大きなメリットがあります。 平成29年度は、「出水IC」が完成します。車社会の今日、高速道路が近くにあり、高速道路へのアクセスが便利になりまりますと、各地との往来が多くなり、大変賑わってくると思われます。その意味で、平成29年度の「出水IC」の完成は、出水にとりましては、大きな役割があります。 年次毎の開通がありますが、平成29年度は、出水に高速道路の時代がやってくる歴史的な年になると思います。 ◆写真:平成25年7月4日(木)午後1時40分 看板には、「ご迷惑をおかけします。南九州西回り自動車道工事を行っています」と記してあります。 出水市:下水流付近の工事現場 |
我が家の「ポスト」は、母屋から少し離れ、玄関の階段を上がった植木の中にあります。 いわゆる外にあります。雨の多いこの梅雨時は、「ポスト」の中が濡れやすくなります。 「ポスト」の中が濡れていては、新聞や手紙、ハガキ、ちらしなど大事な物が読めなくなります。その対応には充分に配慮しています。 3月末に引っ越して来た時は、「ポスト」が劣化していて、雨の時は雨水が少し入り込んできていました。その時は、「ポスト」の中のハガキ等が水に濡れないようにザルのプラスチックの容器を入れ、その下に木をはさんでいました。それで充分に対応ができていました。 しかし、長年使用していましたので、6月から新しい「ポスト」に取り替えました。それが上の写真の「ポスト」です。雨対策には、充分に配慮されていますので、安心ています。 この「ポスト」は、家屋・庭園の全体の設計の時に、設計士の助言で全体のバランスとアクセントという意味を込めて今の位置に置くことにしました。 およそ30年前になりますが、私が、アメリカ合衆国に留学した時、各家庭の郵便受け「レターボックス"letter box"」が目立つ場所に設置されていました。「"letter box"」は、母屋から離れた玄関先にあるのが多いことに気づきました。 「ポスト」には、朝の新聞から始まり、手紙、ハガキ、そして、ちらし等いろいろな大事な物が入っています。その「ポスト」は、雨や風への対応が充分なされていなくてはなりません。 「梅雨にも微笑む我が家の『ポスト』」、今回のこのコラムのタイトルです。これは、梅雨時で雨の中を配達してくだる多くの方々に対する我が家の感謝の気持ちを表しました。 毎日ご苦労様です。ありがとうございます。 ◆写真:平成25年7月6日(土)午前7時15分 梅雨にも微笑む我が家の「ポスト」 鹿児島市:明和の自宅にて |
九州南部の梅雨明けは、7月8日(月)と発表されました。 これは、例年より6日、昨年より15日も早い梅雨明けとになります。 梅雨が終わることを梅雨明けや出梅(しゅつばい)と呼ばれています。 この時になるといよいよ本格的な夏(盛夏)が到来することになります。 今、梅雨明けが宣言されたばかりなのに、すでに35℃を超える猛暑日が全国の多くの場所で記録されています。 鹿児島市では、10日(水)に35.4℃が記録され、今年初めての猛暑日となりました。 そのため、熱中症患者が、全国各地で多く発生しています。 熱中症の予防法は、いろいろと示されていますので、それらを充分に参考にしていきたいと思います。ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典の「熱中症」の予防の中にもいろいろ示されています。その一部取り上げてみたいと思います。 @体内の水分・塩分が失われないような環境を作る。 A体感温度を下げる方法として、日射を防ぐ、通風を確保する。 B手や顔を洗って水で湿らせたり、低温や水のシャワー(急に冷水を浴びる場合は心臓への負担等十分な注意が必要)を浴びる。 Cスポーツドリンクなど塩分と糖分を飲みやすく配合した飲み物も良い。 D睡眠を十分に取る。などです。 私は、梅雨明けと同時に暑くなって来た毎日を、上の5項目等の予防方法を取り入れて体調管理に努めていきたいと思います。 そして、今年の夏、猛暑日の自然環境を「体感」しながら、細心の注意をして、楽しく、元気よく、リズムカルな生活をしていきたいと思います。 ◆写真:平成25年7月11日(木)午前7時30分 鹿児島市明和の西方の上空の夏空 鹿児島市:明和の自宅の2階のベランダから |
歌手前田瑠美さんは、7月20日(土)桜島多目的広場で行われる「桜島大正噴火百周年・2013火の島祭り」の中の歌謡ショーに出演します。 この祭りは、昭和63年(1988年)の国際火山会議をきっかけとして開催されるようになったもので、意義深いイベントです。 主催は、鹿児島市、南日本放送、南日本新聞社です。鹿児島の夏を彩る魅力満載の最大のイベントとして注目されています。 「2013火の島祭り」の内容は、@幼稚園・保育園太鼓、A保育園踊り、B薩摩剣士隼人イベント、C前田瑠美=歌謡ショー、Dヤング踊り連Team鹿女短、E火の島太鼓、F花火(6000発)です。 魅力満載のイベントは、前田瑠美=歌謡ショーをはじめとするステージとともに、雄大な桜島の鼓動を感じながら、会場の間近から打ち上げられる6000発の花火を楽しむことができます。 今年の夏は、梅雨明けが例年より早く、猛暑日も鹿児島市をはじめ全国各地で記録されるなど暑い日が続いています。このような時こそ、野外でのイベントは、多くの人々の心を癒す絶好の機会になると思います。その上、夏空を彩る「花火」は最高のシーンです。 前田瑠美=歌謡ショーは、19時10分から桜島多目的広場で行われます。荒天の場合は翌日の21日(日)に順延されます。多くの方々に感動をもたらす素晴らしいステージになる事でしょう。 私は、この祭りを直接見学したことがありません。今年こそは、その場へ行って、魅力満載のイベントをその場で心から楽しみたいと思っています。 ●桜島大正噴火百周年・2013火の島祭り ◇と き 平成25年7月20日(土)午後5時半〜8時40分(小雨決行、荒天順延) ◇ところ 鹿児島市の桜島多目的広場 ◇主 催 鹿児島市、南日本放送、南日本新聞社 ●歌手前田瑠美さんのHPは、ここから、アクセスしてご覧ください。 ◆写真:平成25年7月13日(土)午後9時15分 「桜島大正噴火百周年・2013火の島祭り」のポスター(前田瑠美HPより転載) |
今日(7月16日)、午後3時56分頃、桜島の爆発がありました。 早速、明和の自宅の2階のベランダから撮したのが、右の写真です。 噴煙の高さは、3.500メートルと発表されました。 桜島の上空に横たわっている白い雲は、夏の雲です。 桜島の中央の黒ずんでいるのが爆発の噴煙です。高くまで噴煙が上がっている様子がよく分かります。 風向きは、弱い北西の方向で霧島市方面に吹いています。霧島市方面では、火山灰情報に充分に気を付けられることが大切です。 先日の10日(水)にも、3.500メートルの噴煙を記録する爆発がありました。桜島の今年の爆発回数は、鹿児島地方気象台のHPによりますと7月15日現在392回を記録しています。 2012年は年間で885回、2011年は年間で996回を記録しています。2009年の年間で545回から増えてきています。その前の2008年は年間で29回です。2007年は年間で10回だけです。 ここ5年間で非常に多くなってきており、その前の2007年は、年間10回だけという年もあります。 私は、3月末に鹿児島の自宅へ帰ってきましたが、20年振りですので、桜島の火山灰の対応が未熟です。洗濯物や今が旬の梅干し干し、窓の開閉など、火山灰への対応を充分にとり組んでいきたいと思います。 私は、桜島爆発の情報をテレビ・ラジオ等からの入手、そして、自分の目で桜島の爆発の状況を確認しながら・・・。 ◆写真:平成25年7月16日(火)午後4時5分 鹿児島市:明和の自宅の2階ベランダから桜島を望む |
今年の真夏の祭典、第58回鹿児島県吹奏楽コンクールは、27日(土)に開幕、8月2日(金)までの1週間、鹿児島市民文化ホールで行われます。 その吹奏楽コンクールは、中学校B、高等学校B、小学校、大学・一般、中学校A(小)・A 、高等学校A(小) ・A.に分かれて行われます。 その結果、南九州大会県代表と九州大会県代表が選ばれます。九州大会は、全国吹奏楽コンクールへの出場を目指すコンクールになります。 出水市からは右の一覧表のように中学校に3校、高校に4校出場します。 各学校とも、今までの練習の成果を充分に表現して悔いのない、素晴らしい演奏をしてほしいと思います。 私は、平成17年からほぼ毎年、高校の演奏を聴いています。演奏は、各学校ともコンクールということを意識して、緊張感の漂う素晴らしいハーモニーを奏でています。 その緊張感の漂う素晴らしいハーモニーに、私はいつも心を動かされています。 今年の吹奏楽コンクールで注目したいのは、出水中央高校です。 9年連続金賞を目指し、4回目の九州大会出場を目指している出水中央高校は、指揮者が替わられました。 8年間指揮をされたベテランの福島玲士先生が3月に退職され、教師2年目の野崎大翼先生が指揮をされるからです。 野崎先生は、米ノ津中学校と出水中央高校吹奏楽部で福島先生の教え子になります。福島先生の素晴らしい演奏の心を引き継がれて、指導され、指揮されると思います。その意味で今年の出水中央高校の演奏に注目しております。 私は、吹奏楽コンクールを聴くのが好きです。特に、九州大会出場を目指す学校は、課題曲T〜Xの中から一曲演奏します。Xは、高校・大学・職場・一般のみです。同じ課題曲でも各学校の演奏に特徴・違いがあります。その特徴・違いを聴くのが楽しみです。 その上、自由曲は、各学校が選んだ曲です。各学校の自由曲への想い入れは、非常に大きいものがあります。その想いが演奏に伝わってきます。私は、それも聴くのが、また、一段と楽しいのです。 各学校の演奏者に、指揮者に、保護者に、そして、全ての関係者にエールを贈ります。 ●鹿児島県吹奏コンクール日程・指揮者・曲目等は、ここから、アクセスしてご覧ください。 |
夏休み初日の7月20日(土)夜、桜島多目的広場で行われた「桜島大正噴火百周年・2013火の島祭り」で、最後に6,000発の花火が打ち上げられました。 その迫力は、昼間の暑さを忘れさせ、涼を呼ぶ感動連続の花火でした。 当日は、桜島の爆発もなく、会場には涼風が吹き、会場の芝生の緑も鮮やかで、大変気持ちの良い会場でした。、 午後5時30分に開会宣言されて、「桜島大正噴火百周年・2013火の島祭り」は、始まりました。 会場の「さくらじま野外ステージ」は、桜島多目的広場にあり、後方には雄大な桜島が入るという舞台です。味わい深い舞台だと感じました。 そのステージでは、出水市出身の前田瑠美さんの歌謡ショーをはじめ、@幼稚園・保育園太鼓、A保育園踊り、B薩摩剣士隼人イベント、C地域芸能、Dヤング踊り連Team鹿女短、E火の島太鼓などか、午後8時までありました。 その後、8時から野外ステージとは逆の方向で身体の向きを変えるだけで、海岸線近くの第3溶岩グラウンドから打ち上げられる6,000発の花火を見学しました。夏空を彩る大輪の花火は、それそれに特徴があり感動の連続でした。 今年「火の島祭り」は、例年になく意義深い祭りです。その1は、「桜島大正噴火百周年」記念の年になります。その2は、鹿児島で行われている「国際火山学・地球内部化学協会学術総会」の日程に合わせて例年より一週間早い開催となりました。外国からの多くの参加者は、会場の指定席で興味深そうに見学されていました。 私は、初めて「火の島祭り」を見学しました。桜島フェリーで行きましたが、浴衣姿の中・高校生、小学生や幼稚園児など小さな子供さんの多いのに気づきましたた。 会場で、私は、芝生に座り、生ビールとつまみを頂きながら、ステージと花火を楽しんできました。観客の多いことなど、さすがに県都・鹿児島市のイベントだと感じました。 帰路の午後9時半過ぎの桜島フェリーでは、錦江湾から見る鹿児島市街地・桜島山麓の灯り、往来する桜島フェリー・漁船の灯りなど、夜景を見ながら、真夏の夜の船旅も楽しみました。 ◆写真:平成25年7月20日(土)午後8時28分 「桜島大正噴火百周年・2013火の島祭り」の6,000発の花火の様子 鹿児島市:桜島多目的広場にて |
出水市内の5つの高校の同窓会の総会・懇親会は、右のように夏休み中に行われます。 まず、7月28日(日)の野田女子高校を皮切りに、8月31日(土)の出水中央高校を最後に計画されています。 各学校の幹事の皆さんは、いろいろなアイディアを練り、魅力ある同窓会を計画されていると思います。 今年の変更点・アイディアとして、 @野田女子高校では、従来の4月実施を7月28日(日)に、 A出水商業高校では、従来の8月12日実施をその前の10日の土曜日に、 B出水中央高校では、吹奏楽部卒業生の演奏会を当日実施さけれるなどがあります。、 今回、ここでご紹介する各高校の同窓会は、各卒業学年が行う還暦記念同窓会のような場とは異なりますよネ。 先輩・後輩との語らいなど同じ学舎で学んだ者を知る良い機会です。いろいろな意味で多くの意義があると思います。 高校時代は、青春時代を謳歌し、人生の中でも興味・関心が旺盛で想い出が一杯詰まった時でした。 その当時を思い出しながら、友との語らい、学校生活の想い出、部活動の想い出、恩師の先生との面会、そして、現在の母校の様子などを知る良い機会です。 古希を過ぎた私は、高校の同窓会をいつも楽しみにしています。 それは、若かった高校時代をお互いに語ったり、その後の人生体験から共感できる部分があったり、校歌を声高らかに歌ったりするなど、話題が尽きないからです・・・。 夏休み中に行われる出水市内の5つの高校の同窓会総会・懇親会が、盛会に行われることをお祈りいたします。 |
鹿児島市原良の民家の駐車場の屋根裏にブドウが栽培されています。 右の写真がその様子です。夏の収穫を前に30〜40位の房に袋がけされています。 私は、屋根裏栽培に驚きを感じましたが、そのアイディアが的を得ているのに驚きました。 その一つは、ブドウの房が桜島の降灰から守られているのです。 夏になると桜島から鹿児島市内へ吹く風が多いので、その風に乗って火山灰が運ばれてきます。火山灰の被害からブドウを守ることができます。 その二つは、駐車場の屋根からの真夏の太陽光線を遮ることができるのです。 鹿児島の夏は、直射日光が厳しくて猛暑をもたらしています。その暑さから駐車中の車の暑さを和らげるのに役立ちます。 駐車場の屋根裏にブドウを栽培されている民家の奥様は、「主人が定年退職した平成20年の春、記念の一つとして一株植えました。その時、屋根裏栽培を考えたのは、@桜島の降灰への対策、A夏の灼熱の太陽光線への対策でした。この付近を通られる方々が立ち止まってよく見ておられます。ブドウは2年目から収穫して、今年も多くの房を付けていますので、大変楽しみです。」とにこやかに話してくださいました。 私は、駐車場の屋根裏栽培のブドウを見て、鹿児島の自然環境に配慮された優しいアイディアだと感じました。この「一石二鳥」の屋根裏栽培のブドウが、今年も美味しい味で収穫されることを願っています。 ◆写真:平成25年7月24日(水)午前11時10分 駐車場の屋根裏で栽培のブドウ 鹿児島市:原良1丁目の民家の駐車場にて |
今年は梅雨が明けると同時にものすごい日差しが襲ってきましたが、皆様は体調を崩されませんでしたか?我が家では、真夏の灼熱の太陽を利用して「土用干し」に励みました。 土用干しに至るまでを振り返ってみると…。 @梅の入手 今年も妻の実家にある梅の木から収穫した梅と、購入した梅を合わせて約5s用いました(我が家では一度に漬けずに手に入るたびに随時漬けていきます)。 A下ごしらえ まずは梅のヘタを竹串で一つ一つ丁寧に取り除く作業から始めます。次に、梅をよく洗い、ザルに上げてよく水切りします。そして、梅の重さを量り粗塩の分量を決め、混ぜておきます。 B土用干し まずは7月15日(祝)に干してみました。鹿児島の家では妻が作っていたので、私も娘も要を得ませんが、とりあえず写真のように日が当たる場所に並べました。ただ団地の中は建物に囲まれていますので、並べ終えた頃には陰がかかってきています。太陽と追いかけっこをしている気分を味わいながら、場所を移動したり裏返したりして、気付くと午後5時。周りは明るいですが、庭は全面が陰になっています。元の樽の中に戻し、初日は終了しました。その後も天気や降灰に気を配りながら通算で3日干すことが出来ました。 C「梅干し」と私 私は、「梅干し」があまり好きではありません。妻もそのことを心得ていました。でも結婚した年から妻が亡くなるまでの40余年、私の弁当には、必ず「梅干し」が入っていました。その「梅干し」は、ほとんど自家製でした。腐りにくくするためと健康を考えての梅干しは「好き嫌い」といった次元を超えて作って食べるのが当たり前となっています。 今年の「梅干し」は、例年に比べても強い日差しを充分に浴びたので、効能がありそうです。 追伸;このコラムは、【第596回】です。「ご苦労」さん(笑い)でしたと呼びかけているようです。 ◆写真:平成25年7月19日(金)午後0時30分 土用干しの「梅干し」作り 鹿児島市:明和の自宅にて |
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県立野田女子高校同窓会では、7月28日(日)、午前9時から亡師亡友の慰霊祭、午前11時から総会、懇親会が行われました。 今年の幹事学年は、昭和52年・53年卒業の皆さんでした。 亡師亡友の慰霊祭は、28日(日)、午前9時から創立50周年記念で建立された亡師亡友之碑の前で多くの希望者が参列して行われました。 総会、懇親会は、場所を鶴丸会館に移して、午前11時から行われました。 先ず、中野由美子同窓会長(昭和43年卒)は、「幹事の皆さんの努力により、多くの方々の参加で盛会に開催できることを嬉しく思います。関東支部も発足しましたので、全国的な広がりに期待しています。」と述べられました。 次に、冨山裕子校長は、「本校は、今年で創立65年目になります。今年度は、特に、フェニックスやイチョウなどの老木の伐採などの環境整備に取り組んでいます。同窓会の皆様にはいろいろお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。」と述べられました。 総会の協議は、予算審議や事業計画などがスムーズに行われました。 そして、最後に校歌が声高らかに斉唱されました。 正午過ぎから始まった懇親会は、事前準備等の良さで楽しい「宴」となりました。 先ず、参加の恩師の先生方へ美しい花が贈呈されました。乾杯の後、しばらく歓談が続くと、余興の時間となりました。 開演は、関東から参加のお二人の見事な「ダンス」でした。次に真夏にぴったりの「フラダンス」の披露などがありました。そして、9テーブルの中の5テーブルが抽選で選抜されて、『明日があるさ』や『プレイバック』などよく知られている歌がこれも抽選で決められて、元気よく、楽しく、大きな声でステージで合唱されました。 次に、カラオケへと続きました。中でも、この春ご着任の小山昭平教頭・二宮浩事務長のお二人はご挨拶を兼ねて素晴らしいお歌を披露されました。私は、平成9年から3年間勤務したことを想い出しながら『ひとり薩摩路』を唄いました。その後、多くの会員の方々の自慢の歌が披露され、楽しい雰囲気で進められました。 余興の最後は、写真のように参加者92名全員で『はんや節』を踊り、締めくくりました。前日の出水市の鶴翔祭の踊りパレードに野田女子高校同窓会で「連」をつくり35名が参加されていますので、その「踊り」は素晴らしいものでした。 最後は、松田一俊同窓会顧問のご発声の万歳三唱で午後2時過ぎに大盛況でお開きとなりました。 司会進行は、全体進行が岩崎真理様(昭52年卒)、余興の進行が近江園静子様(昭52年卒)・川畑英子様(昭52年卒)・中馬弘子様の4名(昭53年卒)でした。事前の入念な計画と巧みな話術で、楽しく、明るく、スムーズに展開されました。 当日は、亡師亡友の慰霊祭から、最後の懇親会まで変化に富む素晴らしい内容が時間一杯に展開され、非常に楽しい会でした。 参加された皆さんは、高校時代の想い出を語ったり、その後の人生体験などを語ったりして、話題が尽きない様子でした。そして、2次会が予定されていました。多くの方々が参加され、2次会も賑やかだったことでしょう・・・。 ◆写真:平成25年7月28日(日)午後2時05分 野田女子高校同窓会懇親会のフィナーレの『はんや節』総踊り(会場の前方のみ撮影) 出水市:上鯖渕の鶴丸会館にて |
出水市の珈琲「秋桜」で、鹿児島の名産黒豚をもとに、「黒豚かき氷」が開発・販売されています。 この「黒豚かき氷」は、7月8日(月)のMBCテレビの「ズバッと!鹿児島」の出水情報で本社のスタジオから紹介されて一躍有名になっています。 私は、7月28日(日)午後、知人と訪れてみました。来客中のお客さんは「黒豚かき氷」を4名で食べておられました。 私と知人の2人も早速、写真のような「黒豚かき氷」とその姉妹に当たる「白豚かき氷」を注文しました。 その「黒豚かき氷」とその姉妹に当たる「白豚かき氷」は。鼻はバナナ、目はチェリー、耳はバナナ、尻尾はチョコレートです。黒毛(白毛)はココアパウターです。中には、フルーツや白玉、あんこ、ミルクなどが入っています。 店長の竹添吏様は、「この店は昨年12月に開店しました。店のメニューに特色を出すために、家内と一緒になって開発したのが、鹿児島名物黒豚にあやかって『黒豚かき氷』です。今年5月10日から発売していますが、大変な人気で嬉しく思っています。」と奥様とお揃いのピンクのポロシャツ姿で明るく対応してくださいました。 珈琲「秋桜」は、出水市街地から大口方面へ車でおよそ5分行くと左側に新築の店で直ぐ分かります。明るいお店で「珈琲」と「ランチ」を主体にされているようですが、真夏の今は「黒豚かき氷」に人気が集中しているようです。 私たちの注文と同時に6名の女性グループの方々が入って来られました。注文の品は「黒豚かき氷」と「白豚かき氷」でした。その中の50歳台の主婦は、「今、出水では大変、話題になっているのですよ。食べてみたくてやってきました。」とコメントしてくださいました。 私は、名物の「黒豚かき氷」を味わいながら食べました。氷とともに中に入っているフルーツなどの沢山の具が、美味しさを一段と高めていました。暑い日が続いていますので、その後も多くの方々が訪れておられることと思います。 今度訪れる時は、この店の名物の「ランチ」と「珈琲」を頂きながら、木々に囲まれた静かな店で、「食」と「店」の雰囲気を満喫したいと思うことでした。 ◆写真:平成25年7月28日(日)午後2時45分 珈琲「秋桜」:出水市下大川内569−5 0996−62−4187 喫茶:午前8:00〜午後7:00(日・祝午後5時)、カラオケ:午後6:30〜午後11:00 |
私の7代目の愛車は、今日(8月7日)からトヨタの「サイ」(SAI)です。 7代目の愛車の車選びは、ハイブリッド車でセダン車であることをポイントにしました。 その結果、トヨタの「サイ」が浮上してきました。 「サイ」は、プリウスの発売以来12年ぶり、2車種目のハイブリッド専用モデルとして平成21年(2009年)12月から発売されている新しい車です。 今回購入の「サイ」は、G“ツーリングセレクション”で、総排気量が2400CC、燃費は1リットル当たり21kmのハイブリッド車、セダン車です。 その「サイ」は、「才(かど)めく才能と、艷(つや)めく彩りをたずさえている車」と表現されています。漢字の「才」と「彩」を掛け合わせて「SAI」(サイ)と名づけられたそうです。 今まで愛用していた6代目の車は、「マークU」でした。平成13年(2001年)3月28日に購入しました。それから12年、およそ15万q走破しました。 私の初代の愛車は、昭和47年(1972年)9月13日に購入のトヨタの「コロナ」でした。免許取得のその日に自動車学校の教習用としての役目を終えた車を譲り受けたのです。当時、私は、大阪府堺市泉北ニュータウンに住んでいました。自動車学校は大阪市内でしたので、そこから住宅まで一人で運転して帰りました。 当時は、「初心者マーク」がなく、運転は大変でした。その直後の10月から、「初心者マーク」が施行されましたので、早速、車の前後に「若葉マーク」付けて運転、その有り難さを感じたのは、私だけだったでしょうか・・・。 その後、A「カローラ」、B「カリーナ」、C「カリーナ」、D「ブレミオ」、そしてE「マークU」と続きました。 7代目の愛車「サイ」は、今までの愛車のような通勤の足としての役割はありませんが、日常の買い物の足として、郷里長島への足として、そして、楽しい旅の足などとして、いろいろ利用していきたいと思います。 そして、特に、カーナビを利用して新しい土地へも意欲的に出掛けて、地理的視野の拡大にも役立てていきたいと思っています。 先ずは、今月11日(日)に久しぶりに(2歳の孫は初めてです)東京から帰る孫たちを空港へ迎えに行きます。そして、隼人の孫も帰ってきますので、孫たちを乗せてドライブをしようと楽しみにしています。 ◆写真:平成25年8月7日(水)午前11時05分 私の7代目の愛車「サイ」 鹿児島市:明和の自宅の玄関前にて |